梶井基次郎: 交尾

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梶井基次郎: 交尾
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first published:『作品』1931年1月1日発行1月号
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desc: 作品由《其一》《其二》两小节构成。这是一篇随笔式短篇,以夜里从晾台上所见的猫的相拥、以及溪流浅滩鸣叫的河鹿(蛙类)惹人怜惜的求偶行为为题材。关于猫的描写取材于作者在大阪阿倍野老家的见闻,河鹿的描写则源于他在伊豆汤岛的亲身经历。作品中,隐约能窥见濒临死亡、已然无法期许美满婚姻的梶井基次郎,对于生命的乡愁与眷恋。作者还以在堺市水族馆所见的鳖的交尾为素材,写下了《其三》,但因梶井基次郎离世,最终成为未完成的遗稿

その一#

星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠こうもりが飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星の工合から、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。

仰望星空,几只蝙蝠无声无息地在空中飞翔。虽然看不见它们的身影,但是从星星瞬间失去亮光的情况来看,可以感觉到这透着诡异的动物在飞翔。

人びとは静まっている。――私の立っているのは、半ば朽ちかけた、家の物干し場だ。ここからは家の裏横手の露路を見通すことが出来る。近所は、港にもやった無数の廻船かいせんのように、ただぎっしりと建てんだ家の、同じように朽ちかけた物干しばかりである。私はかつて独逸ドイツペッヒシュタイン1という画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷り物を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところでひざまずいて祈っているキリストの絵像であった。その連想から、私は自分の今出ている物干しがなんとなくそうしたゲッセマネ2のような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体からだり出し、そして眼がえる。ただ妄想という怪獣の餌食えじきとなりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。

人们都沉浸在梦乡里。——我现在站的地方,是家中一处半腐朽的晾衣场。从这里可以望见住家侧后方的小巷弄。附近就像无数艘停靠在港边的运输船一样,屋子栉比鳞次,每一户都有一样腐朽的晾衣场。我曾经看过德国画家佩希斯坦的一幅画,名叫《为城市祷告的耶稣》,画的是耶稣跪在一处巨大工厂区的巷弄里祈祷。基于这样的联想,我觉得自己现在来到的这处晾衣场就像是那座客西马尼园。但我不是耶稣。入夜后来到这里,我的病躯会发烫,眼睛变得清晰。就只是为了不想成为妄想这个怪兽的饵食,我逃到这里,让身体接受夜露的毒害。

どの家も寐静まっている。時どき力のないせきの音が洩れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売も辛いらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見てもらえというのにどうしても聴かない。この咳はそんな咳じゃないと云って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。――家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦いである。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記情きおくのなかに呼び起す。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもがみずから絶望し、みずから死ななければならないのだろう。

每户人家都沉浸在梦乡。不时会传来虚弱无力的咳嗽声。根据白天得知的消息,我听得出那是住在小巷弄里的鱼贩发出的咳嗽声。这个男人似乎连做生意都有困难。在二楼租房子的一名男子要他去看医生,但他说什么也不听。还说这不是肺病那种咳嗽,想要隐瞒。二楼的男子四处逢人便说。——这个小镇,有钱付房租的人家少之又少,要请医生也根本凑不出钱,所以肺病是一场隐忍的战斗。殡仪馆的车子会突然驶来。每个人都从自己犹新的记忆中唤起那名死者平时工作的模样。死者生前卧病在床的时间并不会太长。其实在这种生活下,每个人都会感到绝望,非自己寻死不可。

魚屋がいている。可哀そうだなあと思う。ついでに、私の咳がやはりこんな風に聞こえるのだろうかと、私の分として聴いて見る。

鱼贩在咳嗽。听了觉得可怜。连带着,我也换成自己的立场聆听,心想,我的咳嗽声听起来也像那样吗?

先ほどから露路の上には盛んに白いものが往来している。これはこの露路だけとは云わない。表通りも夜更よふけになるとこの通りである。これは猫だ。私はなぜこの町では猫がこんなに我物顔に道を歩くのか考えて見たことがある。それによると第一この町には犬がほとんどいないのである。犬を飼うのはもう少し余裕のある住宅である。その代り通りの家では商品を鼠にやられないために大低猫を飼っている。犬がいなくて猫が多いのだから自然往来は猫が歩く。しかし、なんといっても、これは図々しい不思議な気のする深夜の風景にはちがいない。彼らはブールヴァール3を歩く貴婦人のように悠々ゆうゆうと歩く。また市役所の測量工夫のようにつじから辻へ走ってゆくのである。

打从刚才起,巷弄里便频频有白色的东西来去。并非只有这条巷弄如此。每当夜深,大马路上都是这种情形。那是猫。为什么在这个小镇,猫会如此趾高气扬地走在路上呢?我曾经思考过这个问题。首先,这个小镇几乎没有狗。会养狗的,就只有家境富裕的人家。而马路旁的人家,为了避免商品遭老鼠啃咬,大多会养猫。因为没有狗,而猫的数量又多,所以自然猫就会走在马路上。但再怎么说,一群旁若无人的猫儿组成的这幅深夜景致,实在很不可思议。它们就像走在大道上的贵妇一样从容不迫。然后就像市政府在丈量土地般,从这个十字路口跑到那个十字路口。

隣の物干しの暗い隅でガサガサという音が聞こえる。セキセイだ。小鳥が流行った時分にはこの町では怪我人まで出した。「一体誰がはじめにそんなものを欲しいと云い出したんだ」と人びとが思う時分には、尾羽打ち枯らしたいろいろな鳥が雀に混って餌をあさりに来た。もうそれも来なくなった。そして隣りの物干しの隅にはすすで黒くなった数匹のセキセイが生き残っているのである。昼間は誰もそれに注意を払おうともしない。ただ夜中になって変てこな物音をたてる生物になってしまったのである。

隔壁晾衣场的阴暗角落传来一阵沙沙声。是虎皮鹦鹉。流行养小鸟时,镇上甚至还有人因此受伤。“一开始说想养这种鸟的人,到底是谁”,当人们开始这么想的时候,许多宠物鸟就此跌落云端,开始混在麻雀当中,四处找食物吃。现在连这些鸟也不来了。隔壁晾衣场的角落,还有几只因沾了煤灰而泛黑的虎皮鹦鹉存活下来。白天时,没人会去注意它们。不过到了夜里,它们就成了会发出怪异声响的生物。

この時私は不意に驚ろいた。先ほどから露路をあちらへ行ったりこりこちらへ来たり、二匹の白猫が盛んに追っかけあいをしていたのであるが、この時ちょうど私の眼の下で、不意に彼らは小さなうなり声をあげて組打ちをはじめたのである。組打ちと云ってもそれは立って組打ちをしているのではない。寝転んで組打ちをしているのである。私は猫の交尾を見たことがあるがそれはこんなものではない。また仔猫こねこ同志がよくこんなにしてふざけているがそれでもないようである。なにかよくはわからないが、とにかくこれは非常になまめかしい所作であることは事実である。私はじっとそれを眺めていた。遠くの方から夜警のつく棒の音がして来る。その音のほかには町からは何の物音もしない。静かだ。そして私の眼の下では彼らがやはりだんまりで、しかも実に余念なく組打ちをしている。

这时我突然吓了一跳。打从刚才起,就有两只白猫频频在巷弄里跑来跑去,相互追逐,而这时它们就在我眼下,突然发出低吼声,开始交配起来。虽说是交配,但并非站着交配,而是躺着。我看过猫交配,不是像这样。小猫之间常会这样逗闹,但我见过猫的交配,并不是这个样子。虽然不清楚是怎么回事,但眼前这是很妖娆的动作,这是不争的事实。我静静望着眼前这一幕。远处传来夜间巡警手持拘捕棍所发出的声响。除了这个声响外,镇上万籁俱寂,无比宁静。而我眼下的这两只猫同样也没出声,全神贯注地交配着。

彼らは抱き合っている。柔らかく噛み合っている。前肢でお互いに突張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼らの所作に惹き入れられていた。私は今彼らが噛み合っている気味の悪い噛み方や、今彼らが突っ張っている前肢の――それで人の胸を突っ張るときの可愛い力やを思い出した。どこまでも指を滑り込ませる温かい腹の柔毛にこげ――今一方の奴はそれを揃えた後肢で踏んづけているのである。こんなに可愛い、不思議な、艶めかしい猫の有様を私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼らはお互いにきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。それを見ていると私は息が詰って来るような気がした。と、その途端露路のあちらの端から夜警の杖の音が急に露路へ響いて来た。

它们紧紧相拥,温柔地互咬彼此,以前脚顶向对方。我在一旁看着看着,渐渐被它们的动作所吸引。它们互咬彼此的诡异咬法,以及互相顶向对方的前脚——让我想起它们用前脚顶向人们胸膛时,那可爱的力气。腹部暖和的绒毛,可以让人的手指一路滑进里头——此刻其中一只白猫正并拢后脚,踩在对方腹部的绒毛上。这么可爱、神奇、妖娆的猫,我从没见过。过了一会儿,它们紧紧抱着彼此,一动也不动。我见状,感觉自己也跟着喘不过气来。这时,夜间巡警的手杖声,突然从巷弄的另一头传来。

私はいつもこの夜警が廻って来ると家のなかへはいってしまうことにしていた。夜中おそく物干しへ出ている姿などを私は見られたくなかった。もっとも物干しの一方の方へ寄っていれば見られないで済むのであるが、雨戸が開いている、それを見て大きい声を立てて注意をされたりするとなおのこと不名誉なので、彼がやって来ると匆々家のなかへはいってしまうのである。しかし今夜は私は猫がどうするか見届けたい気持でわざと物干しへ身体を突き出していることにきめてしまった。夜警はだんだん近づいて来る。猫は相変わらず抱き合ったまま少しも動こうとしない。この互いに絡み合っている二匹の白猫は私をしてほしいままな男女の痴態を幻想させる。それからはてしのない快楽を私は抽き出すことが出来る。……

只要夜间巡警走近,我向来都会躲进家中。我不想让巡警看到我三更半夜站在晾衣场上。不过,我只要靠向晾衣场的另一边,别让他看见,也就没事了,但屋内的防雨窗开着,巡警看到后,要是大声提醒我关窗,这样反而更没面子,所以只要他靠近,我都会匆匆躲进家中。但今晚我想全程观看这两只猫的情况,所以决定刻意朝晾衣场探出身子。巡警逐渐走近。两只猫还是一样紧抱着彼此,一动也不动。这两只纠缠在一起的白猫,令我幻想起一对男女纵情欢愉的丑态。接着,我从中得到无穷的欢乐……

夜警はだんだん近づいて来た。この夜警は昼は葬儀屋をやっている、なんとも云えない陰気な感じのする男である。私は彼が近づいて来るにつれて、彼がこの猫を見てどんな態度に出るか、興味を起して来た。彼はやっともうあと二間ほどのところではじめてそれに気がついたらしく、立ち留った。眺めているらしい。彼がそうやって眺めているのを見ていると、どうやら私の深夜の気持にも人と一緒にものを見物しているような感じが起って来た。ところが猫はどうしたのかちっとも動かない。まだ夜警に気がつかないのだろうか。あるいはそうかも知れない。それとも多寡たかくくってそのままにしているのだろうか。それはこういう動物の図々しいところでもある。彼らは人が危害を加える気遣きづかいがないと落ち着き払って少しぐらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜け目なく観察していて、人にその気配がきざすと見るやたちまち逃げ足に移る。

巡警步步靠近。这名巡警白天在殡仪馆工作,是个感觉无比阴沉的男人。随着他一步步靠近,我也开始好奇起来,当他看到这对白猫时,不知道会采取何种态度。当他来到约还有三米的距离时,似乎这才发现猫,就此停下脚步,好像正盯着它们瞧。看他这样紧盯着瞧,我也逐渐兴起一种深夜时分和人一起看好戏的感受。不过,那两只猫也不知道是怎么了,一动也不动。它们还没发现那位巡警的存在吗?也许并非如此。还是说,它们觉得巡警不构成威胁,所以按兵不动?这同时也是猫这种动物的傲慢之处。一旦知道不必提防人们,便显得从容不迫,不会轻易逃跑。不过,它们其实也都在小心谨慎地观察,当人类一有不轨的意图,它们就会准备逃离。

夜警は猫が動かないと見るとまた二足三足近づいた。するとおかしいことにはニつの首がくるりと振り向いた。しかし彼らはまだ抱き合っている。私はむしろ夜警の方が面白くなって来た。すると夜警は彼の持っている杖をトンと猫の間近で突いて見せた。と、たちまち描は二条の放射線となって露路の奥の方へ逃げてしまった。夜警はそれを見送ると、いつものようにつまらなそうに再び杖を鳴らしながら露路を立ち去ってしまった。物干しの上の私には気づかないで。

巡警见这两只猫没有动作,便向前又走了两三步。这时说也奇怪,两只猫不约而同地转过头来,但它们仍旧抱着彼此。现在我反而觉得那名巡警比较有趣。接着,巡警突然将他的手杖戳向白猫面前。那两只猫马上化为两道放射线,逃向巷弄深处。巡警目送它们离去后,一如往常,再度很无趣地敲响手杖,离开了这条巷弄。完全没注意到晾衣场上的我。

その二#

私は一度河鹿かじかをよく見てやろうと思っていた。

我一直想要好好观察河鹿蛙。

河鹿を見ようと思えばまず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行なうのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめてじっとしてしまう。「俺は石だぞ。俺は石だぞ。」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿はたにの石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首をもたげはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じぐらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼らは等しく恐怖をやり過ごした体で元のところへあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。

如果想看河鹿蛙,就得大胆地来到有河鹿蛙会鸣叫的河滩处。即便是慢慢靠近,河鹿蛙一样会躲起来,所以应该速战速决。来到河滩后,接下来要找地方藏身,保持安静。“我是石头。我是石头。”在心里这样默念,一动也不动。不过,唯独眼睛得放亮点儿。河鹿蛙与溪谷石头的颜色难以分辨,要是一不留神,恐怕什么也瞧不见。过了一会儿,河鹿蛙开始从水中或石头底下抬起头来。如果仔细看的话会发现,它们其实会从各种地方——就像事先说好似的——战战兢兢地探出头来。我已化为石头。它们挺着度过了恐惧的身躯,爬向原本待的地方。这次它们就在我面前,重新上演刚才无奈被迫中断的求爱。

こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童かっぱの世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然こつぜんとしてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるのを見ていたのであるが、その姿が南画4の河童とも漁師ともつかぬ点景てんけい人物そっくりになって来た、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広びろとした江に変じてしまった。その瞬間私もまたその天地のかくたることを感じたのである。

像这样就近观察河鹿蛙,不时会有一种不可思议的感觉。芥川龙之介写过一部小说,描述人类闯入河童的世界,没想到河鹿蛙的世界就这么近在眼前。就这样,我突然从眼前的一只河鹿蛙身上闯进了它们的世界。那只河鹿蛙蹲在河滩上石头间形成的小水流前,以奇怪的神情静静注视着眼前的水流,不过它的模样看起来像极了南画里的人物,既像河童,也像渔夫。我甫一这么想,它前方的小水流顿时变成宽阔的江河。刹那间,连我也觉得自己成了这天地间的一名孤客。

これはただこれだけの話に過ぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿を眺めていたと云い得るのかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。

就只是如此微不足道的一件小事。不过,或许可以说,就只有在这时候,我才得以在最自然的状态下欣赏河鹿蛙。而在这之前,我也曾有过一次这样的经历。

私は渓へ行って鳴く河鹿を一匹捕まえて来た。おけへ入れて観察しようと思ったのである。桶は浴場の桶だった。渓の石を入れて水をたたえ、硝子ガラスで蓋をして座敷のなかへ持ってはいった。ところが河鹿はどうしても自然な状態になろうとしない。はえを入れても蠅は水の上へ落ちてしまったなり河鹿とは別の生活をしている。私は退屈して湯に出かけた。そして忘れた時分になって座敷へ帰って来ると、チャブンという音が桶のなかでした。なるほどと思って早速桶の傍へ行って見ると、やはり先ほどの通り隠れてしまったきりで出て来ない。今度は散歩に出かける。帰って来ると、またチャブンという音がする。あとはやはり同じことである。その晩は、傍へ置いたまま、私は私で読書をはじめた。忘れてしまって身体を動かすとまた跳び込んだ。最も自然な状態で本を読んでいるところを見られてしまったのである。翌日、結局彼は「慌てて跳び込む」ということを私に教えただけで、身体へ部屋中の埃をつけて、私が明けてやった障子から渓の水音のする方へ跳んで行ってしまった。――これ以後私は二度とこの方法を繰り返さなかった。彼らを自然に眺めるにはやはり渓へ行かなくてはならなかったのである。

我前往溪边,抓来一只鸣叫的河鹿蛙。将它放入桶中,想仔细观察。桶子是上澡堂用的木桶。我朝桶里放入溪边的石头,装满水,用玻璃当盖子,带进家中的客厅。但这只河鹿蛙怎么也不想保持自然状态。即使我放了一只苍蝇进去,苍蝇也只是就此掉到水面上,和河鹿蛙相安无事。我觉得无聊,就洗澡去了。接着我忘了这件事,等回到客厅时,从桶中听到“扑通”一声,我这才猛然想起,急忙前往桶边查看,它仍像之前一样躲了起来,怎么也不肯现身。接着我出外散步。待我回来后,又听见“扑通”一声。之后果然又是同样的情形。那天晚上,我将桶子搁在身旁,开始看书。当我忘了它的存在,挪动身体时,它就会跳进水中。我在最自然的状态下看书的模样,被它瞧见了。隔天,它全身沾满了我房内的灰尘,从我打开的纸拉门一路跳着往传来溪水声的方向而去,最后只让我知道了什么是“慌张地跳入水中”。——从那之后,我便没再用这个方法。因为想要自然地欣赏它们,唯一方法就是到溪边去。

それはある河鹿のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向うの木立のなかでは瑠璃るりが美しくさえずっていた。瑠璃は河鹿と同じくそのころの渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。村人の話ではこの鳥は一つのホラ(山あいの木のたくさんしげったところ)にはただ一羽しかいない。そして他の瑠璃がそのホラへはいって行くと喧嘩をして追い出してしまうと云う。私は瑠璃の鳴き声を聞くといつもその話を思い出しそれをもっともだと思った。それはいかにも我と我が声の反響を楽しんでいる者の声だった。その声はよく透り、一日中変わってゆく渓あいの日射ひざしのなかでよく響いた。そのころ毎日のように渓間を遊びほうけていた私はよくこんなことを口ずさんだ。

那是个河鹿蛙尽情鸣叫的日子。河鹿蛙鸣叫的声音一路传到街道上来。我从街道穿过杉林,前往平时常去的河滩旁。溪谷对面的树丛里,白腹琉璃传出悦耳的鸟啭。白腹琉璃和河鹿蛙一样,是会让这个时节的溪谷充满欢乐的鸟儿。听村民说,一座树林里只会有一只这种鸟。当其他白腹琉璃来到这座树林时,它就会和入侵者大打出手,将对方赶跑。我听到白腹琉璃的叫声后,总会想起这个传闻,觉得很有道理。从声音中听得出来,它确实很享受自己的声音与回音。它的声音清亮,响彻整天不断变换的溪谷阳光中。当时几乎每天都在溪谷间耽溺于玩乐的我,常会这样哼唱:

――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――

——去西平,有西平的白腹琉璃;来世古瀑布,则有世古瀑布的白腹琉璃。——

そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私ははたして河鹿の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼らの音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針通りにじっと蹲うずくまっておればよいのである。しばらくして彼らはまた元通りに鳴き出した。この瀬にはことにたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる。その伝播でんぱは微妙で、絶えず湧き起り絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめてを持つ生物が産まれたのは石炭せきたん両棲類りょうせいるいだということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、ついには涙を催させるような種類の音楽である。

而我来到的河滩附近,也有同样的一只白腹琉璃。听到河鹿蛙的尽情鸣唱后,我快步来到河滩旁。它们的鸣唱戛然而止。但我只要遵照既定策略,静静蹲着等候即可。过了一会儿,它们又开始像原本一样鸣叫起来。这处河滩有许多河鹿蛙。它们的叫声响得整个河滩都震动起来,像清风吹过河面般,从远处传来。声音从附近河滩的浪头间开始高涨,而在眼前这一群河鹿蛙之间达到高潮。它的传播方式很特别,不断地涌现、摇晃,就像目睹一场幻影般。根据科学知识得知,地球上第一个会发出声音的生物,是石炭纪的两栖类动物。因此,只要想到这是地球上第一声响起的生命合唱,心中便不禁兴起一股壮烈之感。这声音确实就像某种音乐,会令闻者内心颤动,满心雀跃,潸然泪下。

私の眼の下にはこのとき一匹のおすがいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間をおいては彼の喉を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜して見た。流れをへだてて一尺ばかり離れた石の蔭におとなしく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに「ゲ・ゲ」と満足気な声で受け答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだん冴えて来た。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応えるほどになって来た。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムをみだしはじめた。鳴く間がたんだん迫って来たのである。もちろん雌は「ゲ・ゲ」とうなずいている。しかしこれは声の振わないせいか雄の熱情的なのに比べて少し呑気に見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると、案の定、雄はその烈しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りて水を渡りはじめた。このときその可憐な風情ふぜいほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆け寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあて丶丶られてしまったのである。

此刻我眼前有一只公蛙。它同样随着这道合唱的浪潮漂浮,每隔一段时间就震动喉咙鸣唱。我试着找寻它求偶的对象。发现隔着水流约一尺远的石头底下,有只河鹿蛙静静地趴着。似乎就是它了。我朝它们瞧了一会儿,发现公蛙每次鸣叫,另外这只青蛙就以满意的声音发出“呱呱”的回应。不久,公蛙的声音愈来愈清亮。它一味地鸣叫,连我都被它感动了。过了一会儿,它合唱的节奏突然开始变得紊乱。鸣叫的间隔愈来愈短。当然了,母蛙也发出“呱呱”的回应。但可能是因为声音不会振动的缘故,与公蛙那热情的声音相比,略显温吞。不过,看来是有事要发生了。我等候那一刻的到来。果然,公蛙那激烈的叫声突然停止,紧接着,它从岩石跃下,开始渡水而去。当时它那可爱的模样,令我大为感动。它从水面上游过去向母蛙求爱,与人类小孩发现母亲时,哭着跑过去撒娇的模样没有两样。“呱呱,呱呱”,它边叫边游。世上竟有如此专心致志的求爱,真是可爱。我大受震撼。

もちろん彼は幸福に雌の足下へいたり着いた。それから彼らは交尾した。爽やかな清流のなかで。――しかし少なくとも彼らの痴情の美しさは水を渡るときの可憐さにかなかった。世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没していた。

最后它当然是幸福地抵达母蛙跟前。接着就此展开交配。就在那舒畅的清流中。——不过,它们那痴情的美,比不上刚才渡水时的可爱。我欣赏了世间罕见的美丽之物,抱着这样的心情,荡漾在撼动河滩的河鹿蛙的蛙鸣声中。

Footnotes#

  1. ペッヒシュタイン (Hermann Max Pechstein, 1881-1955):德国表现主义画家和版画家,桥社成员之一,新分离派的创始人

  2. ゲッセマネ (Gethsemane):位于耶路撒冷橄榄山脚、汲沦谷旁的古老橄榄园。该园因新约记载耶稣在受难前夜于此祷告并遭犹大出卖而闻名

  3. ブールヴァール ([仏] boulevard):大道

  4. 南画:江户时代中后期受中国明清文人画深刻影响而发展出的独立画派

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永雏多氢菲
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