芥川龍之介: 片恋

7873 words
39 minutes
芥川龍之介: 片恋
META

first published:『文章世界』1917年10月号
audio: www.youtube.com/watch?v=WqotxwglO-E
desc: 夏日午后,“我” 在京滨电车上偶遇大学同窗,友人讲述了自己在地方宴席上听闻的艺伎阿德一段单向爱慕往事。时代背景是大正初年,电影(活动写真)刚刚走入大众生活,小说借女子对西洋电影演员无望的爱恋,剖析爱情的虚无、人与生俱来的孤独,以及人寄托于幻象的脆弱内心。

(一しょに大学を出た親しい友だちの一人に、ある夏の午後京浜電車けいひんでんしゃの中でったら、こんな話を聞かせられた。)

(一个夏日的午后,在京滨电车上邂逅一位大学的同届好友,他告诉了我这个故事。)

この間、社の用でYへ行った時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺せきばんず1乃木のぎ大将の掛物がかかっていて、その前に造花ぞうか牡丹ぼたんが生けてあると云う体裁だがね。夕方から雨がふったのと、人数も割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、これも幸いと土地がらに似ず騒がない。所が君、お酌人しゃくにんの中に――

前不久去 Y 地公干时,受到了设宴招待。毕竟是 Y 地的招待宴会,环境颇为典雅:壁龛里悬挂着乃木大将的石印条幅,前面装饰着人造的牡丹花。由于黄昏时下起了雨,人数又不多,故而感觉比原来想象的好。二楼听上去也在开宴会,幸而没像当地人那么大声喧闹。可你猜怎么着?来陪酒的女人里……

君も知っているだろう。僕らが昔よく飲みに行ったUの女中に、おとくって女がいた。鼻の低い、額のつまった、あすこじゅうでの茶目だった奴さ。あいつが君、はいっているんだ。お座敷着で、お銚子ちょうしを持って、ほかの朋輩ほうばいなみに乙につんとすましてさ。始は僕も人ちがいかと思ったが、側へ来たのを見ると、お徳にちがいない。もの云う度に、あごをしゃくる癖も、昔の通りだ。――僕は実際無常を感じてしまったね。あれでも君、元は志村しむら岡惚おかぼれだったんじゃないか。

你大概也还记得吧,咱们以前常去喝酒的 U 的女店员中有个叫阿德的,就是鼻子低、额头窄、整个店里最搞笑的那个。告诉你吧,这家伙也在陪酒的女人里头。只见她一身艺伎打扮,手端酒壶,像其他女人一样地装腔作势。起先我还以为看走了眼,等她来到跟前,我才肯定就是阿德。她那一说话就翘下巴的毛病还跟以前一样……我真觉得人生无常啊,就凭她这么个人,你瞧瞧,好像还让志村害上了相思病呢。

志村の大将、その時分は大真面目で、青木堂へ行っちゃペパミントの小さなびんを買って来て、「甘いから飲んでごらん。」などと、やったものさ。酒も甘かったろうが、志村も甘かったよ。

志村那哥们,当时可是动了真情。他去青木堂买来小瓶的薄荷酒送给阿德,说什么“这种酒味道挺美的,你尝尝”。那酒大概是挺甜美,可志村想得也太美啦。

そのお徳が、今じゃこんな所で商売をしているんだ。シカゴにいる志村が聞いたら、どんな心もちがするだろう。そう思って、声をかけようとしたが、遠慮した。――お徳の事だ。前には日本橋に居りましたくらいな事は、云っていないものじゃない。

这个阿德如今竟然干起这种行当来了。要是志村在芝加哥知道了,心里会是什么滋味?这么一寻思,我本来想要问问她,但还是决定给她留点儿面子吧……说起阿德,她以前在日本桥的那些事,我也不是没告诉过你。

すると、向うから声をかけた。「ずいぶんしばらくだわねえ。私がUにいる時分にお眼にかかった切りなんだから。あなたはちっともお変りにならない。」なんて云う。――お徳の奴め、もう来た時から酔っていたんだ。

就在这时,她倒主动对我打起了招呼:“好久不见了,自从离开 U 之后就再没见过您啦!”阿德这家伙,进来的时候就已经醉了。

が、いくら酔っていても、久しぶりじゃあるし、志村の一件があるもんだから、おおいに話がもてたろう。すると君、ほかの連中が気を廻わすのを義理だと心得た顔色で、わいわい騒ぎ立てたんだ。何しろ主人役が音頭おんどうをとって、逐一白状に及ばない中は、席を立たせないと云うんだから、始末が悪い。そこで、僕は志村のペパミントの話をして、「これは私の親友にひじを食わせた女です。」――莫迦莫迦しいが、そう云った。主人役がもう年配でね。僕は始から、叔父さんにつれられて、お茶屋へ上ったと云う格だったんだ。

可不管醉成什么样,毕竟是久未见面,加上还有志村的那层关系,自然就海阔天空地侃了起来。这一来你猜怎么着?其他人的表情都像是觉得我跟她交情非同寻常似的,纷纷吵吵嚷嚷地开始起哄。东道主挑头对我说“不老实交代就不准走”,搞得我实在难以招架。于是我讲起志村买薄荷酒的事,并且明知是无稽之谈,还是指着阿德说:“这就是让我的好友吃了闭门羹的女人……”我这么说是因为东道主已经上了年纪,我从宴会开始就是属于跟着长辈逛花街的帮衬档次。

すると、その臂と云うんで、またどっと来たじゃないか。ほかの芸者まで一しょになって、お徳のやつをひやかしたんだ。

这一来,由于说起了阿德让男人吃闭门羹的话题,宴席上顿时又热闹起来,就连别的艺伎也一起来拿阿德开涮。

ところが、お徳こと福竜のやつが、承知しない。――福竜がよかったろう。八犬伝2の竜の講釈の中に、「優楽自在なるを福竜と名づけたり」と云う所がある。それがこの福竜は、大に優楽不自在なんだから可笑おかしい。もっともこれは余計な話だがね。――その承知しない云い草が、また大に論理的ロジカルなんだ。「志村さんが私にお惚れになったって、私の方でも惚れなければならないと云う義務はござんすまい。」さ。

谁知阿德这个福龙并不买账——说她是福龙没错吧?《八犬传》里对于龙的解释中,有“优乐自在,谓之福龙”的字句,但可笑的是这个福龙却是大大地优乐不自在,当然这是题外话啰——阿德不买账的理由也颇合逻辑:“就算志村沉湎于我,我也没有义务非得痴心于他吧?”

それから、まだあるんだ。「それがそうでなかったら、私だって、とうの昔にもっと好い月日があったんです。」

不仅如此,她甚至声称:“如果没有当初那些事情,我早就过上更好的日子了。”

それが、所謂片恋の悲しみなんだそうだ。そうしてその揚句にエキザンプルでも挙げる気だったんだろう。お徳のやつめ、妙なのろけを始めたんだ。君に聞いて貰おうと思うのはそののろけ話さ。どうせのろけだから、面白い事はない。

她说这就是所谓单相思的悲哀。讲到最后阿德来了兴头,还要举出单相思的例子来,于是她开始说起了自己离奇的感情纠葛。我要告诉你的就是她讲的故事,反正都是些她自己的私房事,所以不怎么有意思。

あれは不思議だね。夢の話と色恋の話くらい、聞いていてつまらないものはない。

我真有点儿纳闷,一谈起做梦和恋情之类的话题,竟然没人会不愿意听的。

そこで自分は、「それは当人以外に、面白さが通じないからだよ。」と云った。「じゃ小説に書くのにも、夢と色恋とはむずかしい訳だね。」「少くとも夢なんぞは感覚的なだけに、なおそうらしいね。小説の中に出て来る夢で、ほんとうの夢らしいのはほとんど一つもないくらいだ。」「だが、恋愛小説の傑作は沢山あるじゃないか。」「それだけまた、後世にのこらなかった愚作の数も、思いやられると云うものさ。」)

(听了他这句话,我说:“那是因为梦中和恋爱中的悲喜,除了当事人之外,别人无法领悟啊。”“那么,把做梦和恋情写进小说里也就很难喽。”“至少可以说,正因为做梦之类是感觉上的东西,所以似乎写起来更难。小说里描写的做梦,几乎没有一个像真的梦。”“恋爱小说的优秀作品不是比比皆是吗?”“可无法流传下去的蹩脚东西同样也是多得不难想象啊。”)

そう話がわかっていれば、大に心づよい。どうせこれもその愚作中の愚作だよ。なんしろお徳の口吻こうふんを真似ると、「まあ私の片恋って云うようなもの」なんだからね。精々そのつもりで、聞いてくれ給え。

你如果明白这些话的意思,就可以完全心里有底了。反正这是最最蹩脚的作品,因为是我模仿阿德口气说的“我的单相思”。你就尽量耐着性子听吧。

お徳の惚れた男と云うのは、役者でね。あいつがまだ浅草田原町たわらまちの親の家にいた時分に、公園で見初みそめたんだそうだ。こう云うと、君は宮戸座みやとざ3常盤座ときわざの馬の足だと思うだろう。ところがそうじゃない。そもそも、日本人だと思うのが間違いなんだ。毛唐けとう4の役者でね。何でも半道はんどうだと云うんだから、笑わせる。

阿德迷上的男人是个演员。她说是还住在浅草田原町父母身边时,在公园里一眼看上的。听了这话,你想必会猜他是在公户座或常盘座跑龙套的,其实不对。你以为他是日本人?也错了。他是个洋鬼子演员,专扮反派角色来逗人乐的。

その癖、お徳はその男の名前も知らなければ、居所いどころも知らない。それ所か、国籍さえわからないんだ。女房持か、独り者か――そんな事は勿論、くだけ、野暮やぼさ。可笑しいだろう。いくら片恋だって、あんまり莫迦げている。僕たちが若竹へ通った時分だって、よしんば5語り物は知らなかろうが、先方は日本人で、芸名昇菊しょうぎくくらいな事は心得ていたもんだ。――そう云って、僕がからかったら、お徳の奴、むきになって、「そりゃ私だって、知りたかったんです。だけど、わからないんだから、仕方がないじゃありませんか。なんしろ幕の上で遇うだけなんですもの。」と云う。

可阿德既不知他叫什么也不知他住在哪儿,而且连他是哪国人都不知道。我问阿德那个人是娶老婆了还是单身,她回答说问这种问题本身就是老土。你说她可笑吧?阿德对那个人迷得再厉害,这样做也太蠢了。我们去若竹听曲艺的时候,即使内容不太明白,至少对于演员是日本人、艺名叫升菊这些还是知道的呀。……听到我拿这些话笑话她,阿德这家伙立刻板起脸来说道:“那些事我当然也想知道了,但弄不明白也没办法呀,谁让我每次都是在幕布上见到他呀!”

幕の上では、妙だよ。幕の中でと云うなら、わかっているがね。そこでいろいろ聞いて見ると、その恋人なるものは、活動写真に映る西洋の曾我そがなんだそうだ。これには、僕も驚いたよ。成程幕の上でには、ちがいない。

在幕布上?这就奇怪了,要说是在舞台幕布的里头倒还能理解。于是我又问了好几个问题,这才明白,她单相思的那个人,原来是电影里头的西洋喜剧演员。这让我大吃一惊,果然是只能在幕布上见面啊。

ほかの連中は、悪いおちだと思ったらしい。中には、「へん、いやにおひゃらかしやがる。」なんて云った人もある。船着だから、人気が荒いんだ。が、見たところ、どうもお徳が嘘をついているとも思われない。もっとも眼は大分だいぶとろんこだったがね。

看来宴会上的其他人都觉得她这个故事的结局太杀风景,甚至有人抱怨:“哼,别糊弄人了!”Y 这地方是个码头,民风粗俗,但看上去阿德不像是在编瞎话,不过她当时已经醉眼横斜了。

「毎日行きたくっても、そうはお小遣いがつづかないでしょう。だから私、やっと一週に一ぺんずつ行って見たんです。」――これはいいが、その後が振っている。「一度なんか、阿母おっかさんにねだってやっとやって貰うと、満員で横の隅の所にしか、はいれないんでしょう。そうすると、折角その人の顔が映っても、妙に平べったくしか見えないんでしょう。私、かなしくって、かなしくって。」――前掛まえかけを顔へあてて、泣いたって云うんだがね。そりゃ恋人の顔が、幕なりにぺちゃんこに見えちゃ、かなしかろうさ。これには、僕も同情したよ。

“我就是每天想去,可零用钱也经不起我那么花呀,所以我只能一个星期勉强去看一次电影。”……这些话倒还在理,但接下来说的就又不靠谱了:“一星期一次,还能从妈妈那儿软磨硬磨要来钱,可碰上满座时就只能站在旁边的旮旯里了。这一来,好容易等到那个人的脸出现在银幕上时,看上去也是又扁又平的了。看得我那个伤心啊,真是伤心透了……”她说那时自己用围裙捂着脸哭了。我猜她大概是因为看到心上人的脸在银幕上变得又扁又平才伤心的吧。对她的难过,我倒也很同情。

「何でも、十二三度その人がちがった役をするのを見たんです。顔の長い、痩せた、髯のある人でした。大抵黒い、あなたの着ていらっしゃるような服を着ていましたっけ。」――僕は、モオニングだったんだ。さっきでりているから、機先を制して、「似ていやしないか。」って云うと、すまして、「もっといい男」さ。「もっといい男」はきびしいじゃないか。

“我好歹看了十二三次他扮演不同角色的电影。他长长的脸,人很瘦,留着胡子。记得大多是穿黑色的、你这种式样的衣服。”……我当时穿的是常礼服。因为有了刚才的教训,所以我先发制人,立刻问她:“跟我很像吧?”“比你还漂亮。”她一本正经地答道。“比我还漂亮?”这话说得也太不给我面子了吧。

なんしろあなた、幕の上で遇うだけなんでしょう。向うが生身いきみの人なら、ことばをかけるとか、眼で心意気を知らせるとか出来るんですが、そんな事をしたって、写真じゃね。」おまけに活動写真なんだ。肌身はなさずとも、かなかった訳さ。「思い思われるって云いますがね。思われない人だって、思われるようにはしむけられるんでしょう。志村さんにしたって、私によく青いお酒を持って来ちゃくだすった。それが私のは、思われるようにしむける事も出来ないんです。ずいぶん因果じゃありませんか。」一々御尤ごもっと6もだ。こいつには、可笑しい中でも、つまされたよ。

“你想想,他是只能在银幕上看到的吧。如果是生活中的真人,还能对他眉目传情吐诉真心,可对他那么做,是在对着照片自作多情啊。”而且是会动的照片,摸也摸不着,找也找不到。“人们常说的什么相互思念,就是把没有被思念的人也当成了在被人思念。就说志村先生吧,他是经常带薄荷酒来给我,但我没法把他变成个被思念的人啊。这难道不是前世作孽的报应吗?”阿德这些话倒说得句句在理,她表面上滑稽可笑,内里却是让人同情的。

「それから芸者になってからも、お客様をつれ出しちゃよく活動を見に行ったんですが、どうした訳か、ぱったりその人が写真に出てこなくなってしまったんです。いつ行って見ても、「名金めいきん7」だの「ジゴマ8」だのって、見たくも無いものばかりやっているじゃありませんか。しまいには私も、これはもう縁がないもんだとさっぱりあきらめてしまったんです。それがあなた……」

“我当了艺伎以后,也经常带客人去看电影。可不知为什么,那个人忽然一下子不在电影里出现了。不管什么时候,一进电影院就是什么《半文钱》啦、济格玛啦,全都是我一点儿也不想看的演员。最后我也完全死心了,跟他没缘分啊。可是我告诉你……”

ほかの連中が相手にならないもんだから、お徳は僕一人をつかまえて、しゃべっているんだ。それも半分泣き声でさ。

别人都不理睬她了,阿德只能抓住我一个人唠叨个没完,声音都有点儿带上哭腔了。

「それがあなた、この土地へ来て始めて活動へ行った晩に、何年ぶりかでその人が写真に出て来たじゃありませんか。――どこか西洋の町なんでしょう。こう敷石があって、まん中に何だか梧桐あおぎりみたいな木が立っているんです。両側はずっと西洋館でしてね。ただ、写真が古いせいか、一体に夕方みたいにうすぼんやり黄いろくって、そのうちや木がみんな妙にぶるぶるふるえていて――そりゃさびしい景色なんです。そこへ、小さな犬を一匹つれて、その人があなた煙草をふかしながら、出て来ました。やっぱり黒い服を着て、杖をついて、ちっとも私が子供だった時と変っちゃいません……」

“我告诉你,来到这地方之后第一次去看电影的那天晚上,总算隔了好几年又看到他出现在画面上了……那大概是西洋的一个小镇吧,路上铺着石块,中间那棵树像是梧桐,两旁全是西式房子。可也许是因为片子比较旧吧,画面都像黄昏似的模模糊糊黄兮兮的,那些房子和树也有点儿怪,都是晃晃悠悠的……一派萧疏景象啊。这时候,只见那个人牵着一条小狗出现了,嘴里在喷着吸进去的香烟。他还是穿着黑衣服,拄着手杖,跟我小时候看到的一点儿都没变……”

ざっと十年ぶりで、恋人にめぐり遇ったんだ。向うは写真だから、変らなかろうが、こっちはお徳が福竜になっている。そう思えば、可哀そうだよ。

时隔十载邂逅心上人,电影里的对方英姿依旧,而此处的阿德早已成了福龙。想及此情此景,确也让人心酸。

「そうして、その木の所で、ちょいと立止って、こっちを向いて、帽子をとりながら、笑うんです。それが私に挨拶をするように見えるじゃありませんか。名前を知ってりゃ呼びたかった……」

“然后他在树旁边停了一会儿,朝着我脱下帽子笑了。看上去像是在跟我打招呼。我要是知道他名字,真想叫他一声……”

呼んで見給え。気ちがいだと思われる。いくらYだって、まだ活動写真に惚れた芸者はいなかろう。

那你就叫叫看吧!叫出来人家还以为你是疯子呢。想必就是在 Y 这块地面上,也还没有哪个艺伎看电影看到发痴的吧。

「そうすると、向うから、小さな女異人が一人歩いて来て、その人にかじりつくんです。弁士の話じゃ、これがその人の情婦いろおんななんですとさ。年をとっている癖に、大きな鳥の羽根なんぞを帽子につけて、いやらしいったらないんでしょう。」

“这时候,对面走过来一个瘦小的女洋人,一下子紧紧抱住了他。解说员说这个女人是他的情妇。这女人都有把岁数了,却戴着一顶大大的羽毛帽子,真是要多恶心就有多恶心。”

お徳はけたんだ。それも写真にじゃないか。

阿德是吃醋了,而且是吃电影里的醋。

(ここまで話すと、電車が品川へ来た。自分は新橋で下りるからだである。それを知っている友だちは、語りおわらない事をおそれるように、時々眼を窓の外へ投げながら、やや慌しい口調で、話しつづけた。)

(故事说到这里的时候,电车到品川了。朋友知道我要在新桥下车,于是不免说得快了起来,还不时瞟一眼窗外,就怕这个故事讲不完。)

それから、写真はいろいろな事があって、結局その男が巡査につかまる所でおしまいになるんだそうだ。何をしてつかまるんだか、お徳は詳しく話してくれたんだが、生憎今じゃ覚えていない。

据阿德说,电影情节错综复杂,到结束的时候,那个人被警察抓住了。阿德详细告诉过我他是为什么被捕的,可不巧的是这些我都不记得了。

「大ぜいよってたかって、その人を縛ってしまったんです。いいえ、その時はもうさっきの往来じゃありません。西洋の居酒屋か何かなんでしょう。お酒のびんがずうっとならんでいて、すみの方には大きな鸚鵡おうむの籠が一つ吊下げてあるんです。それが夜の所だと見えて、どこもかしこも一面に青くなっていました。その青い中で――私はその人の泣きそうな顔をその青い中で見たんです。あなただって見れば、きっとかなしくなったわ。眼に涙をためて、口を半分ばかりあいて……」

“好多人一拥而上,把他绑了起来,但这已经不是在他刚出场时的街道了。那里像是一个西式酒馆,里面摆满了酒瓶。角落里吊着个大大的鹦鹉笼子。那时看上去是在夜晚,整个画面全是蓝色的。蓝色之中……在蓝色中,我看到他那张脸上眼泪正要夺眶而出。你要是看到他那副表情,一定也会难受的。他热泪盈眶,半张着嘴……”

そうしたら、呼笛よびこが鳴って、写真が消えてしまったんだ。あとは白い幕ばかりさ。お徳の奴の文句がい、――「みんな消えてしまったんです。消えて儚くなりにけりか。どうせ何でもそうしたもんね。」

她说就在这时候终场哨音响起,电影画面消失了,眼前剩下的只是白色的幕布。有句话阿德这家伙说得好:“全消失了,什么都是转眼就没有了。世上的一切就是这么回事。”

これだけ聞くと、大に悟っているらしいが、お徳は泣き笑いをしながら、僕にいや味でも云うような調子で、こう云うんだ。あいつは悪くすると君、ヒステリイだぜ。

光听这句话,她像是大彻大悟了,可她是自嘲似的边哭边笑边对我这么说的。我告诉你,她这家伙搞不好是发神经病了。

だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。事によると、写真に惚れたと云うのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。

可就是发神经病的人,也有他们极为较真的地方吧。什么迷上电影演员的事,有可能就是阿德自己编出来的,其实是她对我们当中的哪个人曾经单相思过也说不定。

(二人の乗っていた電車は、この時、薄暮はくぼの新橋停車場へ着いた。)

(我们俩乘坐的电车此时已经到了暮色中的新桥车站。)

(大正六年九月十七日)

Footnotes#

  1. 石版摺り:[名]石版で印刷すること。また、その印刷物

  2. 八犬伝:江户时代后期曲亭馬琴所著的长篇传奇小说《南总里见八犬传》

  3. 宮戸座:和常盤座都是自明治时期开业于东京浅草地区的小剧场

  4. 毛唐:外国人を卑しめていう語

  5. 縦ば:[副]たといそうであったとしても

  6. 御尤:[形動]相手の言い分が道理であると肯定するさま

  7. 名金:1915 年美国拍摄的电影,原名为“The Broken Coin”

  8. ジゴマ:1911 年根据法国作家利昂·萨基所著侦探小说改编的电影中的蒙面怪盗

Comments

Profile Image of the Author
永雏多氢菲
∴さて····どこへ行こうか?
公告
随缘分享喵
Music
Cover

Music

No playing

0:00 0:00
No lyrics available
Categories
Tags
Site Statistics
Posts
144
Categories
6
Tags
9
Total Words
2,255,454
Running Days
0 days
Last Activity
0 days ago

Table of Contents