中島敦: 山月記
first published:『文學界』1942年2月号
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desc: 唐代,因未能实现成为诗人的志向而化为猛虎的男子李徵,向友人袁傪诉说自己坎坷多舛的命运。故事取材于清代小说集《唐人说荟》中收录的〈人虎传〉
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられた1が、性、狷介2、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥3し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。
居于陇西的李征有着颇高的学问,且富有文采。天宝末年,他正逢弱冠,又于虎榜有名,随即被任命去填补江南尉的空缺。到任后,因其性格孤僻高傲,自视甚高,不肯与稗官贱吏之辈同流合污,上任不久便辞官离去。回了家乡虢略之后,李征闭门不出,甚少社交,耽于诗作。
下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で4、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頰の美少年の俤は、何処に求めようもない。
李征不愿屈服于卑劣恶俗的官员,想到自己若要成为官员脚下的一名小吏,还不如在诗篇上有所成就,或可流芳百世。但以诗扬名不是一件易事。还未在诗作上稍有起色,他的生活就开始拮据起来。他成日焦急烦躁,心神不定,逐渐瘦削了下去。他容颜峭刻,骨瘦嶙峋,只余下双目尚且炯炯有神,早已没有了当年进士及第时意气风发的风姿。
数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずる5ことになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとり6に宿った時、遂に発狂した。
这样过了数年,他日渐对诗作之志绝望,为妻儿生计所迫,不得已选择去了东边的一个小地方做官。此时,距他往日赴任已过去多年,不少同僚均已加官晋爵,反观自身却还要屈居于自己曾经不屑的一班愚人之下,不难想象昔日的才俊李征,自尊心受到了多大的打击。于是他愈发压抑不住自己桀骜不恭的本性。终于,一年之后的某夜,他在差旅途中于汝水河畔彻底发了疯。
或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。
那日夜里,他不知何故脸色突变,从床上一跃而起,一边大叫着常人难以辨清的话语,一边冲出门去,随即消失在夜幕之中。众人寻他未果。此后,李征此人便再无音信。
翌年、監察御史、陳郡の袁傪という者、勅命7を奉じて嶺南に使し8、途に商於の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁傪は、しかし、供廻り9の多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。
又过了一年,陈郡有一位名叫袁傪的监察御史,奉命去往岭南任职,途中路过商於之地。某日凌晨,袁傪正打算连夜赶路,驿站内的一名小吏劝道:前方路上常有吃人的猛虎出没,行人往往在白日才能通行,现下正值夜色,何不待天明后再上路。袁傪拒绝了小吏的提议,仗着自己随从多,声势浩大地离开了驿站继续上路。
残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや10袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。
一行人在微弱的月光下前行,行至林中一片草地时,果不其然,一只猛虎自草丛中跃了出来。袁傪险些就要被那只猛虎扑倒,但稀奇的是,那只猛虎突然一个翻身,又跳回了原先的草丛中藏了起来。紧接着草丛中传出了人类自言自语一般的声音:“好险,好险。”
その声に袁傪は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
袁傪忽觉这声音甚是熟悉。虽然还未从惊吓中回过神来,但他立刻想到了这声音的主人,大声说道:“啊,听这声音,莫不是我的故友李征兄?”
袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁傪の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
袁傪正是李征当年进士及第时为数不多的亲密好友之一。当时,桀骜不驯的李征甚少与人交际,却唯独与袁傪交好,想来也是因为袁傪性情温和,不易与他人产生矛盾的原因。
叢の中からは、暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
尽管如此,草丛那边却久未回应,只是偶尔传出微弱的抽泣声,几不可闻。半晌,草丛中才有喑哑的低声传来:“在下,正是陇西李征。”
袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した11。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。
听闻此话,袁傪忘却了恐惧,即刻下马走到草丛附近,与阔别多年的李征叙起了同窗之情,他问道:“你为何不从草丛出来相见呢?”
李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめ12と故人の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、愧赧の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
那声音答道:“我现在已是一个异类,怎么能不知羞耻地在故人面前显出自己的丑态?即便我出来见你,也会让你感到害怕和厌恶。然而,能在今日与故人相遇,我感到甚是亲切,于是方才那一霎便忘了心中的羞愧。故友啊,你可否不嫌恶我丑恶的外表,与我叙说片刻呢?”
後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁傪が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。
即使眼前这一切看起来如天方夜谭一般,但袁傪当时十分坦然地接受了这不可思议的一幕,而且没有半分犹豫。他让同行的随从全部停在原地,自身则立于草丛旁,同隐藏在草丛中的旧友交谈了起来:城里的传闻、昔日友人的情况、袁傪现在的身份地位,还有李征送上的祝词……
青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。
交谈中,两人坦诚而亲昵地畅所欲言,仿佛依旧是往日那对年轻好友。随后,袁傪开口询问李征究竟为何会变成这般模样。于是,便有声音从草丛之中细细道来:
今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
“大约在一年前,我因公事出差,夜晚居于汝水河畔。半夜醒来时,听闻屋外有人呼唤,我便循着那声音出了门,却并未寻到人影。而那黑暗中的声音一直不绝,我不自觉地被那声音吸引着,不管不顾地向前跑去,渐入山林。不知何时起,我竟以双手着地的姿势奔跑了起来,同时觉得自己的身体充满了力量,稍稍一跃便能跃过沟壑巨石。等我稍微清醒时,却发现自己的手指和肘部都长出了长毛。天色微亮,我在山中的一条小溪中看到,自己已化作了虎身。初时我不相信自己的所见,感到好似坠入了梦境。而当我清楚地知道自己并非身在梦境之时,只觉得惶恐不安、极度茫然。怎么会发生这样的事?我不能理解。可实际上,我们对这个世界本就知之甚少,毫无理由地逆来顺受,进而浑浑噩噩走过一生,这便是众生的宿命了。
自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命をふりかかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き喰うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。
“我想要寻死。但那时,正巧有一只兔子从我面前跑过。见到它的那一刻,我体内的人性忽然就消失殆尽了。待理性再回到我身上之时,我的口中都是兔子的鲜血,我的身旁散落着兔子的绒毛。这是我第一次变成老虎时的情形。从那之后,我的行径实在难以开口叙说。但一天之中我都会有数个小时恢复人性。在这数个小时中,我还像从前那样,能够说人类的语言,能够进行深刻的思考,甚至还能够诵经咏诗。而当我用人的角度去审视自己作为老虎时的种种残忍作为,同时回顾自己仍为人时的遭遇时,便会感到悲愤交加,惊恐不安。然而,随着时间的推移,我恢复人性的时间愈来愈少。以前,我是对自己化形成了老虎而感到惊讶,最近却是对自己曾经为人而感到烦闷。这真是令人毛骨悚然。也许再过不久,我心中残存的人性会被兽性彻底吞没,就像古代的宫殿那样,渐渐被泥土和沙石埋没。这样下去,我会彻底忘记自己的过去,作为一只老虎狂啸来回,再像今天这样遇见自己的故人也会认不出来,把你咬得四分五裂、吞吃入腹也不会觉得后悔了。说到底,动物也好,人类也好,原本应该都是别的什么物种,一开始还能想起自己是什么,之后便会渐渐遗忘,觉得:我一开始不就是现在的模样吗?唉,这些事怎样都无所谓了。等到我作为人的心完全消失的时候,也许我反而会觉得心安理得。尽管如此,我作为人的这颗心仍旧对此感到无比恐惧。啊,我终要忘记自己曾经为人的记忆,我对此是多么害怕、悲切和哀伤啊!这样的心情是谁都无法明白的,谁都无法明白。如果不是跟我有相同遭遇的,是绝不能明白的。说起来,对了,在我还未彻底丧失人性之前,我还有一件事想托付于你。”
袁傪はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。
袁傪一行人全都屏住呼吸,听着草丛中不可思议的话语。那声音接着说道:
他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
“所托非他事。我原想作为诗人积下美名,到了现在,事业尚未达成,厄运却接二连三。我曾经写下的数百首诗,自然也就没能被世人所知。那些遗稿现在在哪恐怕也很难知道了。但我至今还能记得数十篇,希望你能帮我用笔记录下来。我倒不是想凭借这些成为出人头地的诗人,也不论这些诗是精巧还是拙劣,只是这些诗作让我执着了一生,甚至到了家途破碎、心智迷狂的地步。即使是一部分也好,我也想让它们流传后世。否则,我至死也无法放下这一切。”
袁傪は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。
袁傪立刻命令随从拿起笔根据草丛中的声音加以记录。李征朗声诵读的声音从草丛中传来。长短不同的诗作有三十余首,每一首都是格调高雅、志趣卓绝之作,一读便知作者才华非凡。然而,袁傪在感叹的同时又模模糊糊地觉得这些诗作稍有欠缺。诚然,作者的资质无疑是一流的水平,但是,要说这些作品是一流作品的话,却还在某个地方(某个微妙之处)稍微欠缺了一些东西。
旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るか如くに言った。
将旧诗一口气背完之后,李征突然变了一个语调,这般自嘲道:
羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
“抛却羞耻地说,尽管我如今已变成了这副丑陋的样子,但我还是会梦到自己的诗集被摆放在长安风流人士书桌上的样子。那是我躺在洞穴时梦见的。你嘲笑我吧。嘲笑我这个不但没成为诗人,却成了老虎的可悲男人。(听闻此言,袁傪想起青年时代的李征就有这样自嘲的毛病。)好吧,既已见笑,我便在此即兴作一首诗,以抒发我此刻的心怀。也作为曾经的李征依旧在老虎的身体里活着的证据。”
袁傪は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
袁傪又命随从将其记录下来。诗曰:
時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
此时,残月发出冷淡的光,白露洒满大地,树林间时有冷风吹过,仿佛在告诉人们破晓之时已来临。人们忘却了眼前之事的奇异,皆表情肃然,哀叹起诗人的不幸。李征的声音再次响了起来:
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
“方才我说,不知为何此种厄运会降临到我身上,但是,细细想来,却也不是毫无头绪的。当我还是人类时,我尽力回避着与他人的交际,人们也说我桀骜不驯,狂妄自大。实际上,这都是我心里类似羞耻心的东西在作怪。曾被誉为乡党鬼才的我,当然不是没有自尊心的。然而,这无疑是一种病态且软弱的自尊心。我想以自己的诗作成名,却又不为追求进步而拜师求学,不与诗友讨教或是相互切磋琢磨。非但如此,我还不屑与凡夫俗子为伍。这一切,都是我那怯懦的自尊心和狂妄自大的羞耻心造成的。我因为惧怕自己并非美玉,于是不敢刻苦琢磨,却又因为将信将疑地认为自己是一块美玉,而不肯碌碌无为,与瓦砾为伍。于是我逐渐从凡世中脱离出来,疏远他人,结果让愤怒、烦闷以及羞恨这些情绪日益将我内在怯懦的自尊心滋养得越来越大。其实,每一个人都是驯兽师,而那猛兽,不过就是各人的性情而已。对我来说,猛兽就是这种妄自尊大的羞耻心。它损害了我自己,让我的妻儿痛苦,伤害了我的友人,最后,又像这样,将我的外形也变成了与内心相仿的样子。如今想来,我有的、仅有的一点才华也全都白白浪费了。我搬弄那些‘碌碌无为,则人生太长;欲有所为,则人生太短’的警句,事实上我哪有什么远大的志向,不过是害怕暴露自己对才能不足这种卑劣之事的恐惧,还害怕暴露自己对刻苦用功的怠惰而已。那些才能远不及我,却专心磨砺自己继而成为诗词名家的人,不知凡几。可惜的是,此刻变成了老虎的我,才意识到这一点。每念及此,我的心便像被灼烧一般,感到无比后悔。如今我已无法再回到最初那样作为人生活了。即使我在脑中创作出多么优美的诗作,也无法发表于世了。更何况,如今我的思绪每天都接近于猛虎。如何是好?我那被生生荒废了的光阴!每想到这,便只能向着山巅狂奔而去,面对着空谷大吼而出。我心中这种仿若被烈火灼烧的悲哀该找谁诉说。昨天夜里,我还在那里对着月亮咆哮,希望有人能理解我心中的苦闷。但是,野兽听闻我的声音,便只会惊恐,伏地求饶而已。山川也好,树木也好,皓月也好,白露也好,它们都以为这仅仅是一只老虎在震怒之下的狂哮。纵然我上天入地地悲叹,也根本没有一个人能理解我的内心。正如我还是人类时,也没人懂我那极易受伤的心一样。浸湿我这身皮毛的,并非只是这夜晚的露水啊。”
漸く四辺の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処からか、暁角13が哀しげに響き始めた。
四周的暗色渐渐稀薄。不知在何处,清晨的号角悲伤地响起,顺着树木之间的缝隙传来。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼等は未だ虢略にいる。固より、己の運命に就いては知る筈がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。
“已经到了不得不告别的时候了。我迷失人性的时刻(变回老虎的时刻)正在逼近。”李征的声音说道,“但在分别之前,我还有一事相求,那就是我妻儿之事。他们此时还在虢略,并不知晓我的遭遇。你从南方回来时,请告诉他们我已经死了。绝不要把今日你与我相遇之事告诉他们。这是一个厚颜无耻的请求,但你若可怜他们孤苦弱小,施以援手,能让他们今后不至于因寒冷或饥饿死于街头,对我来说便是至高无上的恩情了。”
言終って、叢中から慟哭の声が聞えた。袁もまた涙を泛べ、欣んで李徴の意に副いたい旨を答えた。李徴の声はしかし忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。
一番话说完,草丛中传出了恸哭的声音。袁傪也眼含泪光,欣然答应了李征的请求。忽然,李征的声音又恢复了方才那般自嘲的语调,说道:
本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
“如果我是个人的话,其实应该先向你托付照顾我妻儿之事。可比起饥饿、寒冷之中的妻儿,我竟然更关心自己为之精疲力竭的诗作。唉,或许正由于我是这样的男人,才会堕落成野兽的模样吧。”
そうして、附加えて言うことに、袁傪が嶺南からの帰途には決してこの途を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
随后,他又补充道:“袁傪,你从岭南回来时,绝不可再走这条路了。因为那个时候我或许已迷失本性,无法分辨出故友而袭击你,甚至将你吃掉。此外,这一别之后,请你登上前方百步远的小山丘,再回头看看这个地方,再看一眼我如今的模样。这绝非我想夸耀自己的勇猛,相反,我想通过展示我这丑陋的野兽模样,让你不再兴起来这里见我的念头。”
袁傪は叢に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁傪も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
袁傪面向草丛恳切地话别之后,便上了马。草丛中又传出难以抑制的悲泣之声。袁傪也几度回首,携着泪眼出发了。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
一行人登上小山丘时,他们按照约定,转身回望来时的那片林间草地。忽然,一只猛虎从茂盛的草丛中跃出,跳上大道,与他们对视。那头猛虎,仰头向着散去了银光的残月,咆哮了两三声后,又再次跃回原先的草丛,再也不见踪影。
Footnotes
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補する:[動サ変]職務の担当を命じる ↩
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狷介:[名・形動]自ら守ること厳しく、妥協しない ↩
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帰臥:[名](スル)官職を退いて故郷に帰り、静かに生活すること ↩
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秀でる:[動ダ下一]くっきりと目立つ ↩
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奉ずる:[動サ変]つつしんで勤める ↩
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ほとり:[名]ある物の近辺。それに近いあたり ↩
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勅命:[名]天皇の命令。勅諚 ↩
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使する:[動サ変]言いつけられた用事などをたす。また、使者として出向く ↩
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供廻り:[名]供の人々。従者の一群 ↩
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あわや:[副]危険などがその身に及ぶ寸前であるさま ↩
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叙する:[動サ変]文章や詩歌に述べあらわす ↩
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おめおめ:[副]恥ずべきことと知りながら、そのままでいるさま ↩
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暁角:[名]夜明けを告げる角笛つのぶえの音 ↩