芥川龍之介: 孤独地獄

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芥川龍之介: 孤独地獄
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first published:『新思潮』1916年4月号
audio: https://www.youtube.com/watch?v=jIz-49JgKzw
desc: 主人公对任何事物都无法保有长久兴趣,怀着空虚的心境四处彷徨,最终自觉坠入孤独地狱。这部作品被评价为映照出作者自身虚无心境的代表作

この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと云つてゐる。話の真偽は知らない。唯大叔父自身の性行から推して、かう云ふ事も随分ありさうだと思ふだけである。

这个故事我是从母亲那里听来的。母亲是从她叔叔那里听来的。故事的真伪不好判断,但从我叔公的人品来推断,这件事很可能是真的。

大叔父は所謂いはゆる大通だいつう1の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かつた。河竹黙阿弥かはたけもくあみ2柳下亭種員りうかていたねかず3善哉庵永機ぜんざいあんえいき4同冬映とうえい5九代目くだいめ団十郎だんじふらう6宇治紫文うぢしぶん7都千中みやこせんちゆう8乾坤坊良斎けんこんばうりやうさい9などの人々である。中でも黙阿弥は、「江戸桜清水清玄えどざくらきよみづせいげん10」で紀国屋きのくにや文左衛門11を書くのに、この大叔父を粉本ふんぽんにした。物故ぶつこ12してから、もう彼是かれこれ五十年になるが、生前一時は今紀文いまきぶん綽号あだなされた事があるから、今でも名だけは聞いてゐる人があるかも知れない。――姓は細木さいき、名は藤次郎、俳名はいみやう香以かうい、俗称は山城河岸やましろがし津藤つとうと云つた男である。

叔公是个深通世故之人,有很多幕府末期的文人、艺人是他的知己。如河竹默阿弥、柳下亭种员、善哉庵永机、同冬映、第九代团十郎、宇治紫文、都千中、乾坤坊良斋等人。其中默阿弥在《江户樱清水清玄》一书中写的纪伊国屋文左卫门这个人物,就是以叔公为原型写的。叔公逝世已经有五十年了。他生前有一段时间以今纪文为绰号,因此即使现在,说不定还有人听过他的名字。——他姓细木,名藤次郎,俳名香以,俗称山城河岸的津藤。

その津藤が或時吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになつた。本郷界隈かいわいの或禅寺の住職じゅうしょくで、名は禅超ぜんてうと云つたさうである。それがやはり嫖客へうかくとなつて、玉屋の錦木にしきぎと云ふ華魁おいらん馴染なじんでゐた。勿論、肉食妻帯にくじきさいたいが僧侶に禁ぜられてゐた時分の事であるから、表向きはどこまでも出家ではない。黄八丈きはちぢやうの着物に黒羽二重くろはぶたへの紋付と云ふこしらへで人には医者だと号してゐる。――それと偶然近づきになつた。

津藤曾经在吉原的玉屋结识了一个僧侣。这个人是本乡一个禅院的主持,叫禅超。他也是一个嫖客,与玉屋一个叫锦木的妓女很熟。那时僧侣是被禁止娶妻吃肉的,所以表面上禅超装扮得一点都不像出家人。他穿着黄八丈的和服,外加带有家徽的黑色和服,对人声称自己是个医生。叔公和他是偶然相识的。

偶然と云ふのは燈籠とうろう時分の或夜、玉屋の二階で、津藤がかはやへ行つた帰りしなに何気なく廊下を通ると、欄干らんかんにもたれながら、月を見てゐる男があつた。坊主頭の、どちらかと云へば背の低い、痩ぎすな男である。津藤は、月あかりで、これを出入の太鼓医者竹内ちくないだと思つた。そこで、通りすぎながら、手をのばして、ちよいとその耳を引張つた。驚いてふり向く所を、笑つてやらうと思つたからである。

说起偶然来,那是一个华灯初上的晚上,津藤上厕所回来在玉屋二楼的走廊里,无意中看到一个倚栏望月的男子。那人光头、矮个、瘦削。朦胧的月光下,津藤以为那是常常出入这里作医生打扮的帮闲竹内,于是走过去轻轻地伸手扯住了他的耳朵。想着等他吃惊回头时,再取笑他。

所がふり向いた顔を見ると、かへつて此方こつちが驚いた。坊主頭と云ふ事を除いたら、竹内と似てゐる所などは一つもない。――相手は額の広い割に、眉と眉との間が険しく狭つてゐる。眼の大きく見えるのは、肉の落ちてゐるからであらう。左の頬にある大きな黒子ほくろは、その時でもはつきり見えた。その上顴骨けんこつが高い。――これだけの顔かたちが、とぎれとぎれに、あわただしく津藤の眼にはいつた。

然而一看到对方转过来的脸,吃惊的反而是津藤。除了光头之外,这人跟竹内一点也不像。他额头宽阔,双眉挨得很近,可能因为瘦的缘故,眼睛显得很大。左脸颊上有个很大的黑痣,即使在朦胧的月光下也能看得很清楚。他的颧骨很高。——这样一副相貌缓缓映入惊讶失措的津藤眼中。

「何か御用かな。」その坊主は腹を立てたやうな声でかう云つた。いくらか酒気も帯びてゐるらしい。

“有何贵干?​”那光头生气地说,多少带着点酒气。

前に書くのを忘れたが、その時津藤には芸者が一人に幇間ほうかん13が一人ついてゐた。この手合てあひ14は津藤にあやまらせて、それを黙つて見てゐるわけには行かない。そこで幇間が、津藤に代つて、その客に疎忽そこつわびをした。さうしてその間に、津藤は芸者をつれて、匆々自分の座敷へ帰つて来た。いくら大通でも間が悪かつたものと見える。坊主の方では、幇間から間違の仔細しさいをきくと、すぐに機嫌を直して大笑ひをしたさうである。その坊主が禅超ぜんてうだつた事は云ふまでもない。

方才我忘记说了,津藤当时带了一个艺伎和一个随从。那光头不肯就这么算了,要求津藤赔礼道歉。随从连忙上前代替津藤道了歉。这期间,津藤带着艺伎匆匆回到自己的屋子,再怎么深通世故的人遇到这样的事,也会感到有点不好意思。那边光头听完随从解释误会的缘由,马上消了气,大笑起来。这个光头就是禅超。

そのあとで、津藤が菓子の台を持たせて、向うへ詑びにやる。向うでも気の毒がつて、わざわざ礼に来る。それから二人の交情が結ばれた。尤も結ばれたと云つても、玉屋の二階で遇ふだけで、互に往来はしなかつたらしい。津藤は酒を一滴も飲まないが、禅超はむしろ、大酒家である。それからどちらかと云ふと、禅超の方が持物にぜいをつくしてゐる。最後に女色に沈湎ちんめんするのも、やはり禅超の方が甚しい。津藤自身が、これをどちらが出家だか解らないと批評した。――大兵肥満だいひやうひまんで、容貌の醜かつた津藤は、五分月代ごぶさかやきに銀鎖の懸守かけまもりと云ふ姿で、平素は好んでめくらじまの着物に白木しろきの三尺をしめてゐたと云ふ男である。

后来津藤让人端了点心去给对方道歉,禅超也觉得很过意不去,特意过来赔礼。从此以后二人就算有了交情。虽说有了交情,但二人好像除了在玉屋二楼相遇,也没有别的交往。津藤滴酒不沾,禅超却是海量。而且禅超很会享受,吃穿用度很奢华,在沉湎女色方面也略胜津藤一筹。津藤有时候说:​“简直不知道谁才是出家人?! ”——津藤身高体胖,相貌丑陋,平时总是剃光前半个头顶,脖子上带着银项链,下面挂着守护袋,喜欢穿条纹和服,系着一根白腰带。

或日津藤が禅超にふと、禅超は錦木にしきぎしかけ15を羽織つて、三味線をひいてゐた。日頃から血色の悪い男であるが、今日は殊によくない。眼も充血してゐる。弾力のない皮膚が時々口許で痙攣する。津藤はすぐに何か心配があるのではないかと思つた。自分のやうなものでも相談相手になれるなら是非させて頂きたい――さう云ふ口吻こうふんを洩らして見たが、別にこれと云つて打明ける事もないらしい。唯、何時もよりも口数が少くなつて、ややもすると談柄だんぺいを失しがちである。そこで津藤は、これを嫖客へうかくのかかりやすい倦怠アンニユイだと解釈した。酒色をほしいままにしてゐる人間がかかつた倦怠は、酒色で癒る筈がない。かう云ふはめから、二人は何時になくしんみりした話をした。すると禅超は急に何か思ひ出した容子ようすで、こんな事を云つたさうである。

有一天,津藤碰到禅超,看到禅超穿着锦木的女礼服弹三弦琴。禅超平时脸色就不好,那天更是特别差,眼睛都充血了,嘴角皮肤没有弹性且不时抽搐。津藤觉得禅超是不是有什么心事,于是说:​“如不嫌弃,可以和我说说话。​”说完,也不见禅超开口畅谈,比平时话少很多,时不时就失掉了话头儿。津藤以为这是嫖客常犯的倦怠,因酒色而起的倦怠,是靠酒色治不好的。二人在这样的情形下慢慢开始谈得很投机。这时候禅超好像突然想起什么似的,讲了这样一段话:

仏説によると、地獄にもさまざまあるが、およそ先づ、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄なんせんぶしうのしもごひやくゆぜんなをすぎてすなはちぢごくあり16と云ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯、その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中さんかんくわうやじゆかくうちゆう、何処へでも忽然として現れる。云はば目前の境界が、すぐそのまま、地獄の苦艱くげんを現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐればなほ、苦しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。今では……

按照佛的说法,地狱也有很多种,大致可以分为根本地狱、近边地狱和孤独地狱。从“南赡部洲下过五百逾缮那,乃有地狱”这句话来看,古时候的地下就有地狱了。而其中的孤独地狱于山间、旷野、树下、空中,到处都可突然出现。也就是说,我目前所处的这种境界,马上就会出现地狱般的苦难。我在两三年前,就坠落到这个地狱里了。我对任何事都不会有持久的兴趣,因此我总是从一个境界转到另一个境界,不安地生活着。即使是这样我也逃脱不了地狱的苦难。只要我的这种境界不变,就依然会觉得痛苦。于是我只好继续转来转去,日复一日过活着,试图忘记痛苦。可是,到最终还是会陷入痛苦,这时就只有死路一条了。过去我虽然感到痛苦,但却还不愿意死,那么今天会怎样呢……

最後の句は、津藤の耳にはいらなかつた。禅超が又三味線の調子を合せながら、低い声で云つたからである。――それ以来、禅超は玉屋へ来なくなつた。誰も、この放蕩三昧の禅僧がそれからどうなつたか、知つてゐる者はない。唯その日禅超は、錦木のもと金剛経こんがうきやう疏抄そせうを一冊忘れて行つた。津藤が後年零落して、下総しもふさ17寒川さむかはへ閑居した時に常に机上にあつた書籍の一つはこの疏抄である。津藤はその表紙の裏へ「菫野すみれのや露に気のつく年とし四十」と、自作の句を書き加へた。

最后那句津藤没听清楚,因为禅超和着三弦琴说得很小声。——后来,禅超再没来过玉屋,谁也不知道这个浪荡恣意的僧人后来怎么样了。但那一天,禅超把一本手抄本《金刚经》落在了锦木那儿。津藤后来落魄了,在下总寒川居住的时候,桌子上常放的书籍就是这本手抄本。津藤在封皮的背面加上自己写的一句俳句:野堇惊寒露,人生四十年。

その本は今では残つてゐない。句ももう覚えてゐる人は一人もなからう。

那本书现在已经找不到了。也无人记得那俳句。

安政四年頃の話である。母は地獄と云ふ語の興味で、この話を覚えてゐたものらしい。

这是安政四年的故事,大概是因为母亲对“地狱”这个词感兴趣,所以才记住了。

一日の大部分を書斎で暮してゐる自分は、生活の上から云つて、自分の大叔父やこの禅僧とは、全然没交渉な世界に住んでゐる人間である。又興味の上から云つても、自分は徳川時代の戯作げさくや浮世絵に、特殊な興味を持つてゐる者ではない。しかも自分の中にある或心もちは、ややもすれば孤独地獄と云ふ語を介して、自分の同情を彼等の生活にそそがうとする。が、自分はそれをいなまうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。

每天大部分时间都在书房度过的我,从生活上来说,和我的叔公,和禅超,完全不是一个世界里的人;从兴趣上来说,我对德川时代的戏作和浮世绘,也没有太大的兴趣。但是我自己在某些方面却比较关心“孤独地狱”这类故事,对于其中人物的生活灌注着自己的同情。这一点,我并不想否认,因为从某种层面上说,我也是一个受孤独地狱折磨的人。

(大正五年二月)

Footnotes#

  1. 大通:[名]遊里・遊芸などの方面の事情によく通じていること

  2. 河竹黙阿弥 (1816-1893):幕府到明治初期的代表性歌舞伎狂言作者

  3. 柳下亭種員 (1807-1858):江户时代后期至幕末的草双纸作家

  4. 善哉庵永機 (1823-1904):幕末俳人

  5. 同冬映:江户时代中期至幕末的俳人

  6. 九代目団十郎 (1838-1903):明治时代的代表性歌舞伎演员

  7. 宇治紫文 (1791-1858):日本净琉璃演员

  8. 都千中:通称大野万太,日本净琉璃演员

  9. 乾坤坊良斎:通称海泽良助,幕末落语家

  10. 江戸桜清水清玄:河竹默阿弥于安政 5 年(1858)创作的歌舞伎狂言(剧本)

  11. 紀国屋文左衛門:江户头号豪商,《江户樱清水清玄》中富商的原型

  12. 物故:[名]人が死ぬこと

  13. 幇間:[名]遊客に従って宴席の座興をとりもつ男

  14. 手合:[名]連中。やつら。やや軽蔑していう

  15. しかけ:[名]打掛の称。江戸の遊里でいわれたが、遊女の着る小袖類をさしていうこともある

  16. 南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄:出自《俱舍论》,南瞻部洲是须弥山南方的洲,踰繕那是古印度长度单位

  17. 下総:日本古国名

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