谷崎潤一郎: 细雪(上) 二十一
first published:『中央公論』1943年1月号・3月号
audio: https://www.youtube.com/watch?v=JXXVupE0cRQ
desc: 在大阪船场坐拥百年老店、历史底蕴深厚的莳冈家,鹤子、幸子、雪子、妙子四姐妹交织出百态人情。小说如华美画卷,循着四季流转,细致描绘出昭和十年间关西上流社会的日常光景。
三女雪子是四姐妹中容貌最为出众之人,婚事却屡屡未果,年过三十依旧独身。幸子夫妇为此忧心不已、四处奔走,性格沉默寡言的雪子却对每一门亲事都无意应允,岁月便这般缓缓流逝。
幸子の黄疸は大して重いと云うのでもなしに長いこと恢復しないでいて、どうやら直りかけたのは入梅に這入ってからであったが、或る日彼女は本家の姉から見舞の電話を貰ったついでに、意外な事を耳にした。と云うのは、今度義兄が、東京の丸の内支店長に栄転するについて、近々本家は上本町を引き払い、一家を挙げて東京へ移住しなければならなくなった、と云うのである。
幸子的黄疸虽然不很严重,但恢复得很慢,直到入梅后才开始好转。有一天,姐姐打电话来探问病情,顺便告诉了她一个意外的消息:这次姐夫升任东京丸之内支行行长,最近本家就会从上本町举家搬往东京。
「ふうん、それ、いつやのん」
“嗯,什么时候走呢?”
「兄さんは来月から、云うことやねん。そんで、取りあえず兄さんだけ先に行って、住む家捜しといて貰わなならんよってに、あたし等の行くのんは後になるけど、子供の学校の関係もあるさかい、どうでも八月一杯には立って行かんと、………」姉はそう云ううちにもおろおろ声になりつつある様子が、電話でもよく分るのであった。
“你姐夫下个月就要在东京上班,必须让他先去东京,等找下住所我们随后再去。不过,孩子们要转学,最晚八月底以前也得走了……”姐姐说着说着呜咽起来,在电话中也听得很分明。
「そんな話、前からあったん?」
“早就有消息了吗?”
「それがなあ、ほんまに突然やねんわ。兄さんかてなんにも聞いてえへなんだ云うてはるぐらいやねん」
“哪里?真是突如其来的,连你姐夫也说从来没听说过。”
「来月とはえらい急な話やないか。―――大阪の家はどないするのん」
“下个月不是太急了吗?大阪的房子怎么处理呢?”
「どないしてええか、まだちょっとも考えてえへん。―――何せ、東京に行くようなこと、夢にも思うてえへなんだよってに」
“怎么处理才好,压根儿还没考虑。我做梦也没想过要搬到东京去呀。”
いつも電話で長話をする癖のある姉は、切りかけては又しゃべり出し、しゃべり出しして、生れてからまだ一遍も離れたことのない大阪の土地を、三十七と云う年になって離れなければならない辛さを、それから三十分にも亘って綿々と訴えるのであった。―――
一打电话就说个没完的这位姐姐,刚要挂断又说了起来,反复了几次,足足讲了三十分钟,絮絮不止地倾诉着:有生以来从未离开大阪的土地,到三十七岁这年却不得不离开,多么辛酸……
姉に云わせると、親戚や夫の同僚の誰彼など皆御栄転でおめでたいと云って祝ってくれる人達ばかりで、自分の心持を分ってくれる者が一人もない、たまに一端を洩らしてみても、今時そんな旧弊なことをと、誰も一笑に附して真面目に取り合ってくれない。ほんとうに、その人達の云う通り、これが遠い外国とか、交通不便な片田舎へ遣られでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、勿体なくも天子様のお膝元へ移住すると云うのに、何が悲しいことがあろうと、自分でもそう思い、われとわが胸に云い含めているのだけれども、住み馴れた大阪の土地に別れを告げると云うことが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出て来る始末なので、子供達にまで可笑しがられているのだと云う。
姐姐说,亲戚和丈夫的同事都异口同声祝贺荣升,无一人能理解她的心情。偶尔向谁吐露一言半语,人家听了只是一笑置之,说她时至今日还如此因循守旧,并不认真搭理她。的确如他们所说,这既非远赴异国外邦,也非投身交通闭塞之穷乡僻壤,而是去东京中心丸之内任职,有幸迁居天子膝下,还有什么值得悲伤的呢?她自己也未尝不作如是想,并在心中自宽自解,但一想到要离开大阪这块住熟了的土地,就不由得悲伤起来,甚至流下眼泪,连孩子们都笑话她。
そう聞かされると、幸子も矢張可笑しくなって来るのであるが、一面には姉のその心持が理解出来ないでもなかった。姉と云う人は、早くから母の代りに父や妹たちの面倒を見た人で、父が亡くなり、妹たちがようよう成人する頃には、既に婿を迎えて子持ちになってい、夫と共に傾きかけた家運の挽回に努めると云う風な廻り合せになったりして、四人の姉妹のうちで一番苦労をしているけれども、又或る意味では、一番旧時代の教育を受けているだけに、昔の箱入娘の純な気質を、今もそのまま持っているところがあった。で、今時大阪の中流階級の夫人が、三十七歳にもなっていて一度も東京を見たことがないなどと云うのは、不思議な話であるけれども、姉は事実東京へ行ったことがないのであった。尤も大阪では、家庭の女が東京の女のように旅行などに出歩かないのが普通であって、幸子以下の妹たちも、京都から東へはめったに足を伸ばしたことがないのであるが、それでも学校の修学旅行その他の機会に、三人ながら一度か二度は東京へ行った経験を持っていた。然るに姉は、早くから家事を担当させられたので、旅行などに行く暇がなかったせいもあるが、一つには大阪程よい土地はないと云う風に考え、芝居は鴈治郎1、料理は播半2かつるや、と云ったようなことで満足していて、見知らぬ土地へ出たがらなかったところから、機会があっても妹達に譲り、自分は好んで留守番役に廻っていたのであった。
幸子听姐姐这么一说也觉得可笑,她也未尝不能体谅姐姐的心情。姐姐很早就代替母亲照料父亲和妹妹们,父亲去世,妹妹们渐渐长大成人的时候,她又招了女婿生了小孩,和丈夫一起尽力挽回日渐衰落的家运,在四姐妹中数她操劳最多。从某种意义上说,她接受的是最旧式的教育,至今还保有昔日那种不轻易抛头露面的大家闺秀的纯洁气质。现如今大阪的中产阶级太太们活到三十七岁还未去过东京,简直匪夷所思,而事实上姐姐一次也没去过。当然,大阪家庭里的女孩儿一般不像东京的姑娘那样外出旅游。幸子和两个妹妹也很少去过京都以东的地方。尽管如此,由于有学校组织的修学旅行等机会,三姐妹都曾去过东京一两次。然而,姐姐老早就承担起了家务,根本没有空闲去旅行,另一方面,她笃信天下没有比大阪更好的地方,看戏有雁治郎,下饭馆有播半和鹤屋,足以令她心满意足,从来不想去陌生的地方。所以,纵有外出的机会她也让给妹妹们,自己乐得留在家里。
そう云う姉が現在住んでいる上本町の家と云うのは、これも純大阪式の、高い塀の門を潜ると櫺子格子の表つきの一構えがあって、玄関の土間から裏口まで通り庭が突き抜けてい、わずかに中前栽の鈍い明りがさしている昼も薄暗い室内に、つやつやと拭き込んだ栂の柱が底光りをしていようと云う、古風な作りであった。幸子たちはこの家がいつから其処に建てられているのかを知らない。恐らく一二代前の先祖が建てて、別宅や隠居所に使ったり、分家や別家の家族に貸したりしていたらしいのであるが、父の晩年に、それまでは船場の店の奥に住んでいた彼女達が、住宅と店舗とを別にする時代の流行を追って、その家に引き移るようになった。だから彼女達は、自分達が住んだ期間はそう長くはないのだけれども、幼年時代、親戚の者が住んでいた頃にも幾度か出入りをしたことがあるし、父が最期の息を引き取ったのも其処であったしして、その家には特別な追憶を持っている訳であった。で、姉の大阪に対する郷土愛の中には、その家への執着が余程多くを占めているのであろうと幸子は察した。現に姉の昔気質を可笑しがる幸子でさえも、電話で突然その話を聞いた時に、何かしらはっと胸を衝かれる思いがしたのは、もうあの家へも行けなくなるのかと云うことに考え及んだからであった。その癖平生は、あんな非衛生的な日あたりの悪い家はないとか、あんな家に住んでいる姉ちゃん達の気が知れないとか、あたし達は三日もいたら頭が重くなるとか、雪子や妙子達とよくそんな蔭口をきくのであるが、でも大阪の家が全然なくなると云うことは、幸子としても生れ故郷の根拠を失ってしまうのであるから、一種云い難い淋しい心持がする道理であった。
姐姐现在上本町居住的也是一幢纯大阪式的古色古香的建筑。从高墙门进去便是有棂子格门窗的房屋,从大门的土间起到后门,中间穿过一个中庭,庭中栽有树木花草,光线微弱,使得室内哪怕是白昼也是昏昏暗暗的,只有擦得光滑锃亮的铁杉柱子在暗中熠熠发光。幸子她们不知道它是什么年代修建的,大概是一两代以前的先祖所建,作为别第和隐居处所,有时又租借给分家和析居另住的族人使用。她们原来住在船场的店铺里面,到了父亲晚年,时兴住宅与店铺分开,她们才搬来这里。因此,她们住的时间也不长,不过在幼年时代,有些亲戚们住在这里时,也曾来过几次,加上父亲又是在这里咽气的,所以对这个家有特殊的记忆。幸子察觉到姐姐对大阪故乡的一片深情中,对这个家的执着恐怕占了相当大的比重。尽管幸子为姐姐的古板恋旧感到可笑,但当她在突然听见这个消息时,也不免大吃一惊,因为她想到今后再也不能去那个家了。平时,她老爱和雪子、妙子背地里说那幢房子如何不好,什么“再也没有那样光线差、不利于健康的房子了”,什么“真不懂住在那里的姐姐他们是什么样的心情”,什么“我们住上三天一准会头痛”等。不过,从此以后,大阪的家就全然乌有了,也丧失了故乡的依托之处,幸子自然产生了一种难以言状的寂寞感。
いったい、そう云えば、本家の義兄が先祖代々の家業を止めて銀行員になってしまった時以来、地方の支店へ転任を命ぜられると云う場合も有り得べきことになったのであるから、姉がいつ何時今の家を離れるようなことが起るかも分らなかった訳であるが、迂濶なことには、姉自身も、幸子以下の妹たちも、嘗てその可能性に想到したことがなかった。尤も一度、八九年前に福岡の支店へ遣られそうになったことがあったが、その時は辰雄が、大阪の土地を去りにくい家庭の事情があることを訴え、月給は上らなくとも現在の地位に留っていたいと云う希望を述べて許して貰ったことがあり、銀行の方でも、それからは旧家の婿と云う辰雄の身分柄を考えてくれて、彼だけは転任させられないものと認めているらしい様子だったので、はっきりそう云う諒解を得たのではなかったけれども、何となく、永久に大阪に定住出来るように思い込んでいたのであった。従って、今度のことは彼女達には青天の霹靂であったが、それは一つには、銀行の重役級に異動があって方針が変ったせいでもあり、一つには、辰雄自身、今度は大阪を離れても地位の昇進を望む気持になっていたせいでもあった。と云うのは、辰雄にしても、同輩の者達がだんだん出世するのに自分だけ呉下の旧阿蒙でいるのは余り腑甲斐なくもあるし、その後子供たちの数も殖えて、生活費が嵩んで行く一方、経済界の変動や何かで、養父の遺産と云うものが以前のようには頼りにならなくなって来たからであった。
说到底,自从姐夫放弃世代经营的祖业而充任银行职员以来,本就有转至地方支行任职的可能,姐姐说不定哪一天就要离开这个家。然而,不论姐姐还是幸子和妹妹们,都从没想到这种可能性,这便是她们的迂阔之处。不过,在八九年前,曾有一次上司要调辰雄去福冈支行,当时辰雄报告上司,因家庭关系实难离开大阪,宁可不加薪也希望留在现在的职位上,终于得到同意。此后,银行方面也考虑到了他是世家女婿的身份,好像默认了唯独他不再调任外地。尽管从未得到明确的认可,但她们却无形中认定了能够永远定居大阪。因此,这个消息对于她们不啻晴天霹雳。这次调动一是银行高层有人事变动,改变了方针,二是辰雄也希望能晋升,哪怕是离开大阪也成。因为在辰雄看来,和他同年辈的人都先后出人头地了,唯独自己是“吴下阿蒙”,未免窝囊;另一方面,这几年孩子也多了,生活费用也看涨,由于经济界的变动和其他原因,再也不能像以前那样依赖岳父的遗产过日子了。
幸子は、郷土を追われて行くように感じている姉の胸のうちもいとおしく、家にも名残が惜しまれるので、見舞をかねて早速訪ねようと思いながら、差支えが出来て二三日ぐずぐずしていると、姉は又電話をかけて来て、いつ大阪へ帰って来られることか分らないけれども、さしあたりこの家へは「音やん」の家族に留守番かたがた安い家賃で住んで貰うことにした、ついては、八月と云えば間もないことだから荷物の整理もして置かなければと、近頃は毎日土蔵の中で暮しているが、父が亡くなってからこのかたの家財道具が溜っているので、何処から手をつけてよいのやら、いたずらに取り散らかした品物の山を眺めて茫然としている、きっとあたしには用がなくても幸子ちゃんが見れば欲しいものがあるだろうから、一度それらの品物の中には、見に来てくれてはどうか、と云うような話であった。
幸子十分同情姐姐被迫离开故土的酸楚,自己也对那个家依依难舍,本想尽早去看望姐姐,但是老有事儿缠着,磨磨蹭蹭又过了两三天。姐姐又打电话来说:“不知什么时候才能再回大阪,已经决定便宜一些租给‘音爷爷’一家来住,顺带也请他们守着这个屋。眼看就到八月了,必须收拾好行装,我最近每天都趴在仓库里。父亲去世以后,家具、器物都堆积在仓库里,看着这七零八落、堆积如山的东西,我一直茫无头绪,不知从哪儿着手才好。这些东西中或许有我们不用而你看得上的,你还是来一趟吧。”
「音やん」と云うのは金井音吉と云って、父が昔浜寺3の別荘で使っていた爺やで、今では忰が嫁を貰って南海の高嶋屋に勤めてい、気楽な身の上になっているのであるが、その後も始終出入りをしていた関係から、彼の一族に跡を託すことになったのであろう。
“音爷爷”叫金井音吉,是父亲以前在滨寺的别墅使唤的一个老爷子。如今他儿子娶了媳妇,在南海的高岛屋百货店干活儿,他也过上了悠闲的日子,但是自那以后始终还有来往,所以托他们一家子看管家屋。
その、二度目の電話のあった明くる日の午後に幸子は出かけたが、行ってみると、中前栽の向うに見える蔵の戸前が開いているので、「姉ちゃん」と、観音開きの所から声をかけながら這入って行くと、姉は二階で、ただでさえ入梅のじめじめする日に、黴臭い匂の中にうずくまりながら、姐さん被りをして一生懸命片附け物に熱中していた。姉の前後左右には、春慶塗胡桃脚膳二十人前、吸物椀二十人前、などと記した古ぼけた箱が五つ六つ積み重ねてある傍に、長持の蓋が開けてあって、中に一杯こまこました小箱の詰まっているのが見えていた。姉は丹念にそれらの箱の真田紐4を解いて、志野焼5の菓子器とか、九谷6の徳利とか、一つ一つ調べては元通りにして、持って行く物、置いて行く物、処分してしまう物、と云う風に分けているのであるが、
接到第二个电话的第二天下午,幸子回本家去了。一进门只见中庭那边的仓库门正开着,幸子在左右两扇分开的门口叫了声“姐姐”朝里走去,姐姐正在楼上蹲着,头上包着头巾,全神贯注地清理东西。正值梅雨季节,仓库里潮润润的,充满了霉味儿。姐姐的前后左右,都是码得五六层高的旧箱子,箱子皮上写着“红漆胡桃木腿食案二十只”“汤碗二十只”等字样,旁边有一个长方形衣箱,箱盖已经打开,里面装满了小盒子。姐姐小心翼翼地解开盒子的绦带,把志野窑的点心碟、九谷产的酒壶等等一一检查后放归原处,把要带走的、要留下的和要处置的东西一一分开。
「姉ちゃん、これ、いらんの?」と、尋ねてみても、
“姐姐,这是不要的?”幸子问她。
「ふん、ふん」と、上の空で返事をしてはせッせと手を動かしていた。幸子はふと、姉の取り出した箱の中から端渓の硯が現れたのを見ると、父がそれを買わされた時の情景を思い浮かべた。父と云う人は書画骨董には一向に眼の利かなかった人で、何でも高価な物でさえあれば間違いがないと云う風に考える癖があり、時々馬鹿々々しい物を掴まされたらしいのであるが、この硯なども、お出入りの骨董屋が持って来て何百円とか云ったのを云われるままに買ったものなので、幸子は当時その場に居合わせて見ていたのであった。そして、子供心に、硯にもそんなに高いものがあるのかと思い、書家でも画家でもない父がそんなものを買って何にするのかと思ったことであったが、それよりもなお馬鹿々々しく感じたのは、たしかこの硯と一緒に、印材にする雞血石7と云う石を二つ買った。父はそれを、後日懇意な医学博士で漢詩を作る人の還暦8の祝に贈ろうとして、めでたい文句を選んで彫らせようとしたところ、失礼ながらこの石には交り物があって彫る訳には行かないと、篆刻家から返却して来たことがあったが、高い金を出して求めた品なので、捨てることもならず、長い間何処かに突っ込んであったのを、その後も折々見かけたものであった。
“嗯、嗯。”姐姐心不在焉地答应着,一双手忙个不停。幸子忽然看见姐姐拿出来的箱子里有一方端砚,马上想起了当年父亲被蒙哄买下它时的情景。父亲这人对书画古玩毫无眼力,却有个毛病,认为无论什么东西只要价格高准不错,经常被人糊弄买下一些毫无价值的货色。这方砚石也是一个经常来往的古董商送来的,开口要价几百元,父亲二话没说就买下来了。幸子当时正好在场看见,幼稚的她心里在嘀咕:一块砚石值那么多钱吗?父亲既不是书法家也不是画家,买那玩意儿干什么?更糊涂的是和这方砚石一起,他还买了两块治印的鸡血石。父亲一位挚友,擅长写汉诗的医学博士,不久就到花甲寿辰,父亲准备选一些祝词刻在印石上赠以庆贺,谁知那篆刻家却把石头退回来了,说是非常抱歉,石头有杂质,不宜雕刻。但这又是花了大价钱买下来的,舍不得丢,就长期收藏在一个什么处所,后来幸子也见到过几次。
「姉ちゃん、あの、雞血石たら云う石があったわなあ。―――」
“姐姐,不是有两块叫鸡血石的石头吗?”
「ふん、………」
“嗯……”
「あれ、どないしたやろ。―――」
“那东西还在吗?”
「………」
「なあ、姉ちゃん」
“喂,姐姐!”
「………」
姉は高台寺蒔絵9手文庫10と書いてある箱を膝の上に載せて、固くなった桟蓋11の間に無理に指を挿し込みながら、それを開けることに気を取られていて、そんな言葉など耳にも這入らない様子であった。
姐姐正把一只写有“高台寺泥金画文卷箱”字样的小箱子搁在膝上,手指死劲插进关紧了的箱盖缝隙间,一心想把它掰开,幸子的话她像是一句也没听见。
幸子は姉のこう云うところを見せられるのは珍しくなかった。こう云う風に、人の云うことも聞えないくらい熱心に、寸分の隙もなく立ち働く姉を見れば、知らない者は誰でも感心して、何と云うシッカリした、甲斐々々しい主婦であろうと思うのであるが、ほんとうは、姉はそのようなシッカリ者ではないのであった。いつでも何か事件が起ると、最初に先ず茫然としてしまって、放心したような状態になるが、暫くして、その期間が過ぎると、今度はまるで神憑りになったように働き出す。だから、そんなところを端から見ると、いかにも骨身を惜しまない活動的な世話女房のように思えるけれども、実はもう興奮しきっていて、何が何やら分らなくなり、ただ夢中で動いているだけなのであった。
幸子很少看见姐姐这个模样,争分夺秒、专心致志地干活,甚至连别人说话也充耳不闻。要是让知道的人瞅见,谁都会称赞她是一位能干、勤勉的主妇,但实际上姐姐并不能干。每逢发生了什么事情,一开始她就茫然不知所措,精神恍惚,过一阵子,就像今天这样鬼神附体似的干开了。因此,旁人见此情景,一定会认为她是一位舍死忘命干活的能干妻子,其实她只是陷入亢奋状态,昏头昏脑地瞎忙乎罢了。
「姉ちゃん云うたら可笑しいやないか。昨日の電話では泣き声出して、あたしが涙こぼして話しても誰も相手になってくれへん、幸子ちゃん是非聞きに来てほしい云うてた癖に、今日行ってみたら、蔵の中へ這入ったきり、荷物の整理に夢中になってて、『姉ちゃん』云うたかて返事もせえへんなんだわ」彼女は夕方帰って来ると、妹たちとそんな噂をしたが、
“姐姐可真有意思,昨天她在电话里哭出了声,说什么‘哪怕我说得流泪也没人听,幸子你一定要来听我说一说’,但是,我今天去看她,她却一头钻在仓库里整理东西,我叫‘姐姐’她都不吭一声。”傍晚,幸子回来后和妹妹们谈着。
「そう云う人やわ、姉ちゃんは」と、雪子も云った。「そんでも、見てて御覧。―――今に気イ弛んだら、又泣き出すに違いないよってに」
“姐姐不就是那么个人吗?”雪子也说道,“你们等着瞧,等她缓了这口气,一准又会哭鼻子的。”
雪子は、それから中一日置いて、ちょっと来て貰いたいと姉から電話が懸ったので、どんな様子か今度はあたしが見て来ようと云って出かけたが、一週間ばかり泊って来て、
隔一天,姐姐打电话叫雪子去一趟。雪子说“这次让我去看看她是个什么样子”便去了,住了一个星期才回来。
「荷物の整理は大方済んだらしいねんけど、まだ神憑りに憑ってるわ」と云って笑った。雪子の話だと、姉が彼女を呼び寄せたのは、義兄の名古屋の実家まで夫婦で暇乞い12に行くことになったので、彼女に留守を頼むためなのであったが、夫婦は雪子が行った翌日の土曜の午後に立ち、日曜の夜おそく帰って来た。ところで、それから今日でもう五六日になるのだが、その間姉は何をしているかと云うと、毎日机に向ってお習字をしている。何のためのお習字かと云うと、名古屋で辰雄の実家を始め親戚廻りをして、方々でもてなしに与ったについて、その家々へ礼状をしたため13なければならないのであるが、それが姉には大仕事なのである。殊に辰雄の嫂に当る人、―――実家の兄の妻と云うのが、字の上手な婦人なので、それに負けないように書きましょうと思うと、一層気が張るのであろう、いつも、名古屋の義姉に手紙を書こうと云う時は、字引や書翰文範14を机の左右に置き、草書のくずし方一つでもにならぬように調べ、言葉づかいにも念を入れて、幾度か下書きをすると云う風にして、一本の手紙を一日がかりで書くのであるが、まして今度は五六本も書くのであるから、下書きだけでも容易に出来上らないで、お稽古に日を暮している。そして、雪子ちゃん、これでええやろか、何ぞ書き洩らしてえへんやろかと、雪子にまで下書きを見せて相談をする始末なので、今日雪子が出て来る時までには、やっと一通しか書き上っていなかった。と云うのである。
“行李似乎大致整理好了,不过姐姐还是那副鬼神附体的架势。”雪子说着笑了起来。据雪子说,姐姐叫她去看家,因为夫妻俩要回名古屋辰雄的老家辞行。她去后第二天即星期六的下午他俩动身,星期天深夜便回来了。可是,那以后的五六天中,姐姐每天伏在书案前练习写字。问她为什么练字,她说在名古屋还走访了辰雄的一些亲戚,受到了盛情款待,必须给每家写封致谢信,这对于姐姐来说无异于一项大工程。特别是辰雄的嫂子书法上乘,姐姐想写得毫不逊色,于是铆足了劲儿练字。平日给名古屋这位嫂子写信时,她案头总是摆着字典和《尺牍文范》,草书的写法也毫不含糊地查清,遣词造句反复斟酌,打几遍草稿,写一封信就要花一整天时间。何况这次要写五六封,光草稿就不容易完成,所以,她成天就鼓捣这事儿。而且,她还拿着草稿给雪子看,商量怎样修改:“雪妹,这样写行吗?还有什么写漏了的?”今天,直到雪子要回来时,好不容易才写了一封信。
「何せ姉ちゃんは、重役さんの家へ挨拶に行く時かて、二三日も前から口上の言葉を口の中で暗誦して、独りごとにまで云うぐらいやさかいにな」
“总之,姐姐每逢要去银行董事家里问候的时候,早两三天就暗暗背诵准备要说的话,甚至自言自语地念叨。”
「そんで、云うことがいな、―――東京へ行く云う話が余り突然やったんで、この間じゅうは悲しいて悲しいて涙が出てしょうがなかったけど、もうちゃんと覚悟出来たよってに、どないもあらへん。こないなったら、一日も早う東京へ行って、親類の人等びっくりさしてやらんならん、やて」
“所以我说呀,这回去东京的事来得太突然,所以前些日子总是悲悲戚戚、哭哭啼啼的,不过,她现在已经做好思想准备了:没事儿,既然这样,干脆尽早去东京,非让亲戚们大吃一惊不可。”
「ほんに、そんなことを生きがいにしてる人やねんわ」
“真的,姐姐总是把这些事情看作人生的意义。”
そう云って三人の妹たちは、ひとしきり姉を俎上に載せて笑い話をしたことであった。
你一言我一语,三位妹妹把姐姐笑话了好一阵。
Footnotes
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鴈治郎:初代中村雁治郎,活跃于明治、大正至昭和初期的上方歌舞伎代表演员 ↩
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播半:曾坐落于心斋桥及兵库县西宫市、创业于1879年的老牌高级料亭 ↩
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浜寺: 位于大阪府堺市至高石市一带的临海区域 ↩
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真田紐: 以经线与纬线用织机平织而成的扁绳,主要用作茶具等木箱的捆扎系带 ↩
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志野焼:美浓烧的一类,是安土桃山时代于美浓(岐阜县)烧制、使用白釉的陶瓷器 ↩
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九谷: 石川县西南部、山中町的地名 ↩
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雞血石:产自中国的印章石料,带有艳丽的红色斑纹 ↩
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還暦: [名] 61(満60)歳に達したことを祝う儀礼 ↩
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蒔絵:漆器工艺的一种装饰技法。以漆描绘纹样后,附着金、银、锡等金属颗粒或色粉来呈现图案 ↩
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手文庫: [名] 手もとに置いて、手紙や書類などを入れる小箱 ↩
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桟蓋: [名] 蓋が乾燥によってそるのを防ぐために、裏に細い横木を打ちつけたもの ↩
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暇乞い: [名] (スル)別れを告げること ↩
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認める: [動マ下一]書き記す ↩
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書翰文範:主要供公职人员参考,收录礼仪性文书书写规范与范文的统称 ↩