谷崎潤一郎: 细雪(上) 二十四
first published:『中央公論』1943年1月号・3月号
audio: https://www.youtube.com/watch?v=p84oMVQQMbk
desc: 在大阪船场坐拥百年老店、历史底蕴深厚的莳冈家,鹤子、幸子、雪子、妙子四姐妹交织出百态人情。小说如华美画卷,循着四季流转,细致描绘出昭和十年间关西上流社会的日常光景。
三女雪子是四姐妹中容貌最为出众之人,婚事却屡屡未果,年过三十依旧独身。幸子夫妇为此忧心不已、四处奔走,性格沉默寡言的雪子却对每一门亲事都无意应允,岁月便这般缓缓流逝。
この寄せ書きに対しては間もなく幸子宛に返事が来、あれを繰り返し身に沁みてうれしく読んだこと、自分もこの間の十五夜には二階の窓からひとり月を眺めていたこと、あれを読んで、去年蘆屋の家で月見をした時の情景を昨日のことのように思い浮かべたこと、などを感傷的に書いて来たが、それから又暫く音信が跡絶えた。
寄出这封信后不久,幸子就收到了雪子的回信,说是她满怀喜悦地反复读览了他们的诗画。十五那天夜里,她也在二楼独自眺望窗外的明月;读着这些诗句,去年在芦屋中秋赏月的情景宛如昨日,云云;那笔调颇有点伤感。自那以后,又暂时绝了音信。
雪子がいなくなってからは、お春が悦子の寝台の下に寝床を敷いて寝るように極めてあったが、半月ばかり立つと、悦子はお春を嫌い出してお花に代らせ、又半月ばかり立つと、お花を嫌い出して下働きのお秋に代らせた。悦子が子供に似合わず寝つきが悪く、寝入る前に二三十分興奮しておしゃべりをする癖があることは前に書いたが、女中達だとこの二三十分間の相手が勤まらず、いつも悦子より先に眠ってしまうのが、彼女を苛立たせる原因であるらしく、苛立てば苛立つほど尚寝られなくなって、夜中に荒々しく廊下を駈けて来て、両親の寝室の襖をばたッと開けて、
雪子走后,幸子决定在悦子的床下敷一个睡铺,由阿春陪着她睡。过了半个月,悦子讨厌阿春了,便换上阿花。才过了半个月,她又厌烦阿花了,又让做杂活儿的阿秋来顶替。前面已经交代过,悦子不像个小孩,难以入睡,睡前总要兴奋地说二三十分钟话,而这些女佣谁也不能陪着她聊半小时,总是比悦子先睡着了。这好像是悦子焦躁的原因。她越焦躁就越睡不着,甚至半夜暴躁地跑过走廊,“吧嗒”一声拉开父母寝室的隔扇,一边哭着大声嚷嚷:
「お母ちゃん、悦子ちょっとも寝られへんねん」と、怒鳴り込みながら泣き出したり、「お春どん癪1やわ。グウグウ鼾かいて寝てるねん。嫌い! 大嫌い! 悦子お春どん殺してやるわ!」と云ったりした。
“妈妈,我怎么也睡不着!阿春真讨厌!她睡着了‘呼噜呼噜’直打鼾,讨厌!太讨厌了!我要杀死阿春!”
「悦ちゃん、そないに興奮したら却って寝られへんねんで。無理に寝よう寝よう思わんと、寝られなんだら寝られんでも構めへん、思うて御覧」
“你这样兴奋反而睡不着,不要勉强睡,你要这样想,睡不着没关系,去试试看。”
「そうかて、今寝とかなんだら朝方しんどうて起きられへんねん。………又学校遅刻してしまうやないの。………」
“可是,现在睡不着早晨就困得起不来……不是又会迟到吗?”
「何やねん、そんな声出して! 静かにしなさい!」と、幸子は叱りつけて、寝台へ一緒に這入ってやって寝かしつけるようにしたが、矢張どうしても寝つかないで「寝られへん寝られへん」と訴えては泣き出すので、幸子も癇2が立って来て、つい又叱りつける。すると一層大声で喚き出す。女中はそんな騒ぎが起っているのも知らずに寝ている。と云うようなことが始終であった。
“嚷什么呀,那么大的声音,安静点儿!”幸子训斥着,又送她回寝室哄她睡觉。无论怎样还是睡不着,悦子哭诉着:“睡不着呀,睡不着呀!”惹得幸子大动肝火,忍不住又骂了她一顿,于是悦子更闹得昏天黑地。屋子里闹出这么大的动静,那女佣仍然呼呼大睡。
そう云えば、この間から何かと心が慌しくて気が付きながら注射をすることを怠っていたが、今年も亦「B足らん」の季節になり、家族の誰もが幾分か脚気に罹っているらしいので、悦子もそのせいではないか知らん。―――幸子はそう思って悦子の心臓部に手をあてて見、脈を取って見ると、かすかに動悸が打っているので、翌日、痛がるのを無理に掴まえてベタキシンの注射をしてやった。そして、隔日に四五回続けた結果、動悸は静まって脚は軽くなり、体のしんどいのは多少直った様子であったが、不眠症の方はますますひどくなって行った。診て貰う程でもあるまいと思って櫛田医師に電話で相談して、アダリンを一箇寝しなに飲ますようにしてみたが、一箇ではなかなか利いて来ないし、量を殖やすと利き過ぎて寝坊をする。朝、余りよく寝ているので、寝かして置いてやると、眼が覚めるや否や枕元の時計を見てわッと泣き出して、今日も遅刻した、こんなに遅くては極まりが悪くて学校へ行かれないと云って喚く。そんならと云って、遅刻しないように起してやると、悦子ちょっとも昨夜寝られてえへんねんと、怒って布団を頭からすっぽり被って寝てしまい、眼が覚めると又遅刻したと云って泣き出す。
近来幸子老觉得心慌,知道该打针了而又懒得打。她心想今年又到了“缺 B”的季节,家里人好像都多少有点脚气病的光景,悦子会不会是这个原因呢?幸子想到这里便用手摸摸她的胸部、把把脉,觉得有点心跳过快。第二天,尽管悦子怕痛,幸子还是强按着她注射了维生素B,以后隔日一次,连续打了四五针,结果心悸消失了,脚步也轻松了,身体也不感觉那么疲乏了,不过悦子的失眠却越发严重了。幸子本以为不必请大夫来出诊,就打电话和栉田医生商量,他建议临睡前服一片阿达林试试。但是,悦子服一片效果不大,增加剂量早晨又睡不醒。早晨幸子见她睡得正香,就让她睡下去,可是当她醒来看见枕旁的小钟,就哇的一声哭起来:“今天又要迟到了!”她大喊大叫道,“这么晚了,我不好意思去学校了!”既然如此,要是把她叫醒不让她迟到,她又说“我昨晚一会儿也没睡着”,说罢怒气冲天地把被子蒙着头又睡,再醒来时又哭着说是迟到了。
女中達に対する愛憎の変化が激しくなって、嫌い出すと極端な言葉を使い、「殺す」とか「殺してやる」とか云うことを屡口走る。それに、発育盛りの年頃にしては前から食慾が旺盛でないのであるが、その傾向が募って来て、毎食一二膳しか食べず、お数も、塩昆布とか、高野豆腐とか、老人の食べるような物を好み、お茶漬にして無理に飯を流し込む。「鈴」と云う牝猫を可愛がって、食事の時は脚下に置いていろいろの物を与えるのであるが、少し脂っこい物は自分が食べるよりも大半鈴に遣ってしまう。そのくせ潔癖が異常に強くて、食事の間に、猫が触ったとか、蠅が止ったとか、給仕人の袖が触ったとか云って、二三度は箸に熱湯をかけさせるので、給仕する者は心得て、番茶の熱いのを土瓶に入れて食事の初めから食卓の上に用意して置く。蠅を恐れることは非常で、食物に止った場合は勿論、近くへ飛んで来たのを見ただけでも、どうも止ったらしいと云って食べなかったり、確かに今の蠅は止まらなかっただろうかと、周囲の者に執拗く尋ねたりする。そして、箸から落したものは、洗いたてのテーブルクロースの上に落ちたのでも、汚がって食べない。或る時幸子は、悦子を連れて水道路へ散歩に出て、路端に蛆の沸いた鼠の屍骸が転がっているのを見たことがあったが、その傍を通り過ぎて凡そ一二丁も行った時分に、「お母ちゃん、………」と、悦子が、さも恐ろしいことを聞くように擦り寄って来ながら小声で云った。
悦子对女佣的爱憎变化也很剧烈,厌烦起来什么极端的话都说得出口,动辄喊要杀这个要杀那个。而且,她正当发育时期,原来就食欲不振,自从有了这个毛病,每餐只吃一点点,还只爱吃那些老人喜好的东西,什么盐海带、冻豆腐干之类,勉强吞点儿茶泡饭。她喜欢那只母猫铃铃,每当吃饭时总把它唤到脚下,给它各种各样吃的,稍微油腻点儿的食物,大部分喂了铃铃。她还有极严重的洁癖,吃饭时,她经常呶呶不休地抱怨她的筷子被猫沾了,被苍蝇叮了,被用人的袖子碰了,要放进沸水里烫上两三回。侍候她吃饭的用人也都心照不宣,每次开饭时总是先备下一大壶热开水放在餐桌上。她特别害怕苍蝇,真让苍蝇叮着食物了自不必说,但凡看见苍蝇飞到近处,就说苍蝇叮过了而拒绝吃那东西,或者执拗地追问周围的人有没有被苍蝇叮过。还有就是,由于筷子没有夹住,哪怕食物落到刚洗过的桌布上,她也说是弄脏了而不吃。有一次,幸子带她到水道路散步,她看见路旁有一只死老鼠,蛆虫在里外蠕动。她从旁边已经走过去半里路了,好像打听什么可怕的事情似的,紧挨着幸子身边小声问:
「………悦子あの鼠の屍骸蹈めへんなんだ?………着物に蛆が着いてえへん?」
“妈妈……我没有踩到那只死老鼠吧?……我衣裤上没有蛆虫爬吧?”
幸子はぎょっとして、悦子の眼つきを窺わずにはいられなかった。なぜと云って、二人はその屍骸を避けるようにして二三間離れた所を通ったので、どう考えても、それを蹈んだと思い誤まる筈はなかったからである。
幸子大吃一惊,不由得盯着她的眼睛。她俩为了避开那只死老鼠,是从旁边四五米远的地方绕过去的,怎么也不应该产生那种错觉。
まだ小学校の二年生である少女でも、神経衰弱に罹ることが有り得るのだろうか。―――それまでは大して心配もせず、口先で叱ってばかりいた幸子も、この鼠の一件から事の重大さに心づいて、翌日櫛田医師に来て貰った。櫛田医師の意見では、小児の神経衰弱も決して珍しいものではないから、恐らく悦ちゃんのもそうであろう、案じるほどのことはないと思うけれども、専門の医師に紹介するからその先生に診てお貰いなさい、私は脚気の手当だけをして置く、専門医は西宮の辻博士がよいから、今日中にも往診してくれるように電話で頼んで置きましょう、と云うことであったが、夕刻に辻博士が見え、診察後暫く悦子と問答などをして、神経衰弱と云う診断を下した。そして、先ず脚気を完全に治療する必要があること、投薬に依ってでも食慾を促進させ、偏食を直すようにすること、学校は、気分次第にして遅刻や早退をさせるのはよいが、全然学業を廃して転地療養等をするのは不可であること、なぜなら、精神が或る一つの事に向けられていると、却っていろいろな妄想を描く余裕がなくなるからであること、興奮させてはならないこと、分らないことを云っても頭から叱り付けず、諄々と説いて聴かせるようにすること、等々を注意して帰った。
还在念小学二年级的小姑娘也会患神经衰弱吗?幸子过去并不怎么担心,还老是骂悦子。但她从死老鼠的事情上察觉到了事态的严重性,第二天就把栉田医生请来了。医生的意见是,小儿患神经衰弱症绝不少见,恐怕悦子就是患了这种病。虽然他认为并没有什么大不了的,但他还是准备介绍一位神经科医生,请他来看看,自己只治疗脚气病。他说神经科医生以西宫的辻博士为好,他会打电话请辻先生今天前来出诊的。傍晚,辻博士来了,诊察过后,又问了悦子一些问题,最后诊断为神经衰弱,并且说了一些注意事项:首先必须完全治愈脚气病;可以服用药物以增进食欲,要改正偏食的习惯;上学要随心情而定,迟到早退都无妨,但也不可停学到外地疗养,因为精神无所寄托就容易产生各种各样的妄想;不要使她兴奋,即使她说了错话也不能斥责她,必须循循善诱;等等。说完他便告辞了。
雪子のいなくなった結果が、こう云う形を取って悦子の上に現れて来たものであるとは、必ずしも断定し難いし、幸子としてはそんな風には考えたくなかったが、扱い方にほとほと手を焼いて、どうしたらよいのか分らず、泣きたくなるような折に出遭うと、雪子であったら、こんな場合に辛抱強く云い聴かせて納得させてしまうのに、と思うことは再三であった。外のことと違い、事情が事情であるから、そう云ってやれば本家の方でも一時雪子を貸してくれることに異存はなかろうし、又貸してくれと云わないでも、雪子に宛てて悦子の状態を知らしてさえやれば、義兄の許可を待つ迄もなく飛んで帰って来ることは明かであったが、二た月立つか立たないのにもう降参して助け船を呼ぶと云われるのは、意地とか張りとか云うものを余り持ち合せない幸子でも、気がさすかして、まあもう少し様子を見て、………まあ、自分で何とかやって行けるうちは、………と、思い思い日を送っていた。
雪子不在这里的结果竟以这种形式在悦子身上表现出来,幸子很难这样断定,她也不愿意这样想。但是,对付悦子实在是很棘手的事情。她不知道怎样做好,有时甚至想哭。每逢这种时候她就想:如果是雪子在这种场合,一定会很耐心地说服悦子,使悦子听从。幸子思之再三,悦子的病不可等闲视之,事关重大,若向本家暂借雪子来住一阵,他们也不会有异议吧。即使不说借,只要写封信让雪子知道悦子的情况,她一定会不待姐夫同意就飞奔前来。但是,即使是不怎么要强的幸子,要这么做也有点难为情:不到两个月就服输了,要讨救兵,暂且再看看吧……哎,只要自己还能勉强应付下去……她就这样左思右想挨过了一些日子。
が、貞之助の方はと云うと、これは雪子に来て貰うことには寧ろ反対であった。いったい、食事中に何度も箸を熱湯消毒したり、テーブルクロースの上に落ちた物をさえ食べてはならないとするような躾かたは幸子や雪子の流儀で、こうなる前から彼女達自身実行していたことなので、貞之助は、ああ云う遣り方はよろしくない、あれでは神経質な繊弱な子供が出来てしまうから、あの習慣は矯正してほしい、そのためには先ず大人達がああ云うことをするのを止め、多少冒険でも蠅の止ったものぐらい食べて見せて、こうしてもめったに病気に罹らないと云うところを実際に示すのがよい、お前達は消毒ばかりやかましく云って、規律と云うことを重んじないのは間違っている、あんなことより規則正しい生活をさせることが第一であると、いつも幸子に注意したものであったが、貞之助の主張はなかなか行われなかった。幸子の方には、夫のように頑健で抵抗力の強い人は自分達のような華奢で病気に罹り易い者の気持が分らないのだと云う考があり、貞之助の方には、箸に黴菌が着いたぐらいで病気に感染するようなことは千に一つの場合である、それを恐れてああ云う遣り方をしていたのではますます抵抗力が弱くなると云う考があり、一方が、女の子は規律よりも優雅と云うことが大切だと云えば、一方が、いや、その考え方が旧式なのだ、家庭でも食事や遊戯の時間などを規則正しくしなければならぬ、あんなだらしのないことをさせて置いてはいけないと云い、一方が、あなたは衛生思想のない野蛮人だと云えば、一方が、お前達のする消毒は少しも合理的に行われていない、箸に湯やお茶をかけたぐらいで病菌が死にもしまいし、食物がお前達の前に運ばれる迄に、どう云う所でどう云う不潔物に触れて来るか知れたものではない、お前達は欧米流の衛生思想を穿き違えている、いつかの露西亜人達などは生牡蠣を平気で食べたではないか、と云ったりした。
至于贞之助的态度,不用说是反对把雪子请来的。原来,吃饭时筷子用热开水消毒好几次,连掉在桌布上的食物都不肯吃,这些都是幸子和雪子教给悦子的,她们自己早就是这样做了。贞之助也曾不断提醒幸子:那些做法不妥当,会把她侍弄成神经质的懦弱的孩子。要想矫正这些习惯,首先大人得以身作则,哪怕冒点险也要吃苍蝇叮过的食物给她看看,吃了没有生病,事实会教育她的。“错就错在你们总是严格要求消毒,而不注重生活规律,最重要的是要让她过有规律的生活。”但是贞之助的主张无论如何也行不通。幸子认为,像丈夫那样身体健康、抵抗力强的人,不理解自己这样娇弱而易生病者的心情;贞之助却认为,筷子沾上细菌就染病的机会只有千分之一,如果因为害怕得病而采取那些做法,抵抗力会越来越弱。这边说,对女孩子而言,优雅的风度比有规律的生活更为重要。那边说,不对,那是陈旧的观念,哪怕在家吃饭和游戏的时间也要有规律,不能放任散漫。这边说:“你是毫无卫生观念的野蛮人!”那边回答道:“你们那种消毒方法一点也不合理!筷子用开水或茶烫一烫,也不一定就能杀死细菌,何况,在食物送到你们面前之前,天晓得它在什么地方接触过什么不洁的东西。你们误解了欧美人的卫生思想,上次那些俄国人不是毫不在乎地吃生牡蛎吗?”
本来貞之助は、孰方かと云えば放任主義で、殊に女の児の躾は母親の方針に一任して置けばよいと云う建前であったが、近頃は、目下の支那事変の発展次第では婦人が銃後の任務に服するような時期も有り得べく、そんな場合を考えると、これからの女子は剛健に育てて置かなければ物の役に立たないと云うことを、憂慮するようになっていた。と、或る時貞之助は、悦子がお花と飯事遊びをするのに、注射の針の使いふるしたのを持って来て、芯が藁で出来ている西洋人形の腕に注射しているのを、ふっと見かけたことがあった。そして、何と云う不健康な厭な遊戯をしていることかと思い、これなども例の衛生教育の余毒であると感じて、それからは一層、何とかして是正しなければいけないと云うことを始終考えていたのであった。ただ、肝腎の悦子が誰よりも雪子の云うことを信じるようになっており、その雪子の遣り方を妻が支持しているのでは、下手な干渉をすると家庭に風波を起すだけで終ってしまう危険があるので、機会を待っていたのであるが、雪子がいなくなったことは、そう云う点からよいことであるように貞之助は見ていた。と云うのは、従来貞之助も雪子の境遇には密かに同情していたので、娘の躾と云うことも大切ではあるが、雪子が受ける精神的打撃も考えてやらねばならず、彼女を僻ませないように、「邪魔にされた」と云う感じを持たせないように、悦子から遠ざけてしまうことは容易でなかったのに、それが今度は自然に解決した訳で、雪子さえいなくなれば、妻の方は扱い易い、と云う腹があった。で、雪子ちゃんを気の毒に思う心持は僕もお前と同様なのだから、雪子ちゃん自身が帰って来たいと云うなら拒みはしないが、悦子のために呼び戻すと云うことは賛成しかねる、なるほど、悦子を扱うことは馴れているから、来て貰えばさしあたり助かるには違いないが、僕に云わせると、悦子が今のような神経衰弱になった遠い原因は、お前や雪子ちゃんの躾方にあるのだ、だから、一時の困難を忍んでも、これを機会に雪子ちゃんと云うものの影響を悦子から除いてしまう方がよい、そして、徐々に、逆らわないようにしながら、躾方を変えて行こうではないか、それには此処当分の間雪子ちゃんが帰って来てくれない方が都合がよい、―――と、そう云って幸子を制していた。
本来,贞之助信奉放任主义,特别是对女孩子的教育,他历来主张都交给母亲。但是,最近随着卢沟桥事变的发展,有朝一日可能会要妇女在后方执行任务,想到这一点,贞之助便忧虑起来。今后女孩子如不锻炼得刚健一些将会懦弱无能。有一次,贞之助看见悦子和阿花玩“过家家”,悦子竟拿一管旧注射器往麦秆做的洋娃娃胳膊上打针。他想,这是多么不健康的游戏。他认为这也是幸子她们的卫生教育的余毒造成的。他一直在考虑今后更需要设法纠正。只是,关键在于悦子最听雪子的话,而雪子的做法又得到妻子的支持,如若自己干涉不当有令家庭徒生风波的危险,所以他只有静待时机。现在雪子走了,从这一点看,对于贞之助似乎是件好事。本来贞之助深切同情雪子的境遇,女儿的教育固然重要,如加干涉就不能不考虑雪子精神上所受的打击。既要使雪子离开悦子,又不使雪子产生偏见、觉得自己“碍事”了,这绝非易事。而这一次问题自然而然地解决了。贞之助成竹在胸,只要雪子不在,妻子自好对付。他对幸子说:“同情雪子的心情,我和你都是同样的。如果雪子自己说想回来,我不拒绝,但为了悦子去叫她回来,我难以赞成。的确,她照料悦子很有办法,如果请她回来,无疑暂时会有所帮助。但是依我看,悦子之所以得了神经衰弱,说远一点,也跟你和雪子的教育方法有关。因此,即使忍受一时的困难,也要趁此机会消除掉雪子对悦子的这些影响,以后再慢慢地顺其自然地改变原来的教育方法。暂时还是不要让雪子回来为好。”贞之助就这样劝阻了幸子。
十一月になって、貞之助は仕事のことで二三日東京へ行く用が出来たので、始めて渋谷の本家を訪ねたが、子供達はもうすっかり新しい生活に馴れ、東京弁も上手になり、家庭と学校とで言葉の使い分けをする程になっていて、辰雄夫婦も雪子も機嫌よくしてい、狭い所で窮屈だけれども是非泊って行ってくれろと、皆がすすめるのであった。しかし全く狭い家なので、貞之助は築地の方に宿を取って、義理に一晩だけ泊ったが、その明くる朝、辰雄や上の子供達が出かけてしまい、雪子が二階を片づけに行っている隙に、
到了十一月,贞之助因公出差到东京去了两三天,初次访问了涩谷的本家。孩子们已完全习惯了新的生活,东京话也讲得很好,能够在家庭和学校分别使用不同方言。辰雄夫妇和雪子也很高兴,都挽留他说:尽管屋子狭窄简陋,还是住在家里吧。可是房子实在太挤,贞之助只得住在筑地,不过碍于礼节,仍在本家住了一晚。第二天早晨,辰雄和孩子们都出去了,贞之助趁雪子上二楼去拾掇房间的空隙,对鹤子说:
「雪子ちゃんも落ち着いてるようで、ええ塩梅ですな」と、鶴子に云うと、
“雪妹的情绪也好像稳定下来了,还行呢。”
「それがなあ、あないしてたらどうもないように見えますけど、―――」と云うような話になった。鶴子の云うのには、此方に移って来た当座は雪子ちゃんも気持よく家事の手伝いをしてくれ、子供達の面倒を見てくれたのであるが、―――今でも決して態度が変ったと云う訳ではないが、ただ時々、二階の四畳半に引き籠ったきり降りて来ないことがある、あまり姿を見せないので、上って行ってみると、輝雄の机の前にすわり、頬杖をついてじっと考え込んでいることもあり、しくしく泣いていることもある、それが、初めのうちは十日に一遍ぐらいであったが、近頃だんだん頻繁になりつつあって、そんな日には階下へ降りて来ても半日ぐらい物も云わない、どうかすると、人前でも涙を隠し切れないで、ぽたりと落すことがある、辰雄も私も、雪子ちゃんの取扱いには随分気を付けているつもりなので、別に何も機嫌を損ずる原因があるとは思われないから、結局これは、関西の生活が恋しい、まあ云ってみれば、郷愁病のようなものであろうと断ずるより外はない、それで、少しは気が紛れるようにと思って、お茶やお習字のお稽古を、又続けてみたらと云うのだけれども、そんなことも一向取り合ってくれない、―――鶴子はそう云って、富永の叔母ちゃんの口利きもあって雪子ちゃんが素直に帰って来てくれたのを、私達はほんとうに喜んでいたのだけれども、それが雪子ちゃんに取って、まさかこんなにも辛い、厭なことであるとは思っていなかった、此処にいることが泣くほど辛いのであるなら、又私達の仕様もあるが、いったい私達は何でそれほど雪子ちゃんから嫌われなければならないのであろうか、―――と、それを云う時、鶴子は自分も泣きながら、―――しかし恨めしくもあるけれども、雪子ちゃんの思い詰めている様子があまり一途なので、可哀そうにもいじらしくもなって来て、それほど関西がよいのなら、いっそ好きなようにさしてやろうかと、考えることもある、蘆屋へ預けきりにしてしまうことは辰雄が許すまいけれども、今のところ手狭なのだから、広い家へ移るまででも行っているとか、でなければ、せめて十日か一週間行かしてやったら、それだけでも慰められ、元気づけられはしないであろうか、ま、そう云っても、何か適当な口実がなくては工合が悪いが、兎に角雪子ちゃんが今のような有様では、私は気の毒で見ていられない、あれでは当人より端の者が遣り切れない、と云うのであった。
“这个,怎么说呢,看上去像是没什么,但是……”鹤子说,“刚搬到这里的时候,雪子也高高兴兴地帮着做家务,照看孩子。现在呢,也不能说她改变了态度,不过,她老是待在楼上那间四铺席半的房间里不下来,不大见她的人影。我上楼一看,有时她坐在辉雄的桌子前面托着腮寻思,有时抽抽嗒嗒地哭泣。起初是十来天哭一次,现在却越来越频繁了。遇到这种时候,她就是下楼来了也是半天不吭声,甚至当着人面也忍不住眼泪吧嗒吧嗒往下掉。辰雄和我对待雪子都相当小心谨慎,也想不出有什么事伤了她的心。归根到底,只能说她是留恋关西的生活,无妨说是犯了乡愁病吧。为了排解忧愁,我劝她继续学茶道和书法,但她全不理会。”鹤子接着说,“由于富永姑母巧言劝导,雪子老老实实地来了,我们打心眼里高兴。但是万万没想到这竟令雪子这样痛苦、难受,如果说她住在这里痛苦得要哭,我们也还有办法可想,可是究竟为何雪子那样厌恶我们呢?”说到这里鹤子自己也哭了起来,“我们虽然有点怨雪子,但是看到她那一味愁思苦想的样子,又可怜又心疼。我也想过,既然她那么留恋关西,倒不如依了她的心愿。尽管辰雄不会同意她长期待在芦屋,不过,现在这里房子小,可以让她住到我们换了宽敞的房子为止。不行的话,哪怕让她去住上个把星期十来天,使她得到一点安慰,精神振作一点也好。哎,话虽这么说,没有个恰当的借口还是不成。反正,雪妹现在这个样子,我都不忍看下去,我们比她还难受。”
これは一場の座談として語られたので、貞之助は、そんな風では兄さんも姉さんもお困りであろう、それには幸子あたりにも責任があることで、申訳がない、と云ったような挨拶をしただけで、悦子の病気のことなどは勿論云いはしなかった。が、帰って来てから、幸子との間に東京の話が出、雪子の近状を尋ねられてみると、事実を知らせるより仕方がなかったので、鶴子が云ったことを何一つ隠さずに告げた。
听了姐姐这番话,贞之助说:“这种情况想必使您和姐夫为难了,不过,这事幸子也有责任,实在抱歉。”他也只能说这些应酬话,至于悦子生病之事,当然只字未提了。回来以后,和幸子谈起东京的事情,幸子询问雪子的近况,他只好如实相告,把鹤子的原话一字不漏地讲给她听了。
「僕かて、雪子ちゃんがそないにまで東京を厭がってるとは思てえへんなんだ」
“我也没想到雪妹会那样讨厌东京。”
「結局、兄さんと一緒にいてるのんが厭なんでッしゃろか」
“说到底,还是不喜欢和姐夫住在一起吧?”
「それもあるかも知れん」
“说不定也有这个原因。”
「そうか、悦子に会いたいのんか、―――」
“对了,是想见见悦子吧?”
「それやこれや、いろいろやろうな。もともと雪子ちゃん云う人が、東京の水に合わん人や」
“总之,有各种各样的原因,雪妹这个人本来就不服东京的水土。”
幸子は、雪子が幼い時分から辛抱強く、どんなにつらいことがあっても口には出さないで唯めそめそと泣いてばかりいたことを思い出したが、今も机に凭って忍び泣きをしている妹の姿が、眼に見えるような気がした。
幸子回忆起,雪子从小就有忍性儿,无论有什么痛苦都缄口不言,只是独自低声啼哭。此刻,她仿佛看见了妹妹倚着桌子偷声饮泣的模样。