梶井基次郎: 桜の樹の下には
first published:『詩と詩論』1928年12月5日発行・第二冊
audio:https://www.youtube.com/watch?v=bzS52XUSeds
desc: “樱花树下,埋着尸体啊!/这你尽管相信就好。” 在因肺结核前往汤河原疗养时,梶井望着满开的樱花。直面步步逼近的 “死亡”,他却将生与死的对峙,升华为极致之美 —— 这般修辞的妙处,藏着对自身死亡的预感,散发着妖异的光芒
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
樱树下埋着尸体!
これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。
这件事你大可相信。因为樱花开得如此茂密,也太让人难以相信了吧。那样的美,我无法相信,所以这两三天我感到不安。不过现在,真相大白的时刻终于来临。樱树下埋着尸体。这件事你大可相信。
どうして俺が毎晩家へ帰つて来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選つてちつぽけな薄つぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のやうに思ひ浮んで来るのか――お前はそれがわからないと云つたが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやつぱり同じやうなことにちがひない。
为什么我每天晚上在回家的路上,会像千里眼一样,从我房里众多的物品中,偏偏选中那又小又薄的刮胡刀片浮现脑中呢?——虽然你说不清楚这是为什么——而我同样也不清楚缘由——但这肯定是同样的情况。
一体どんな樹の花でも、所謂真つ盛りといふ状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻つた独楽が完全な静止に澄むやうに、また、音楽の上手な演奏がきまつてなにかの幻覚を伴ふやうに、灼熱した生殖の幻覚させる後光のやうなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
不论是何种树木的花朵,只要达到所谓完全盛开的状态,便会向周遭的空气散发一种神秘的气氛。就像转动的陀螺完全静止,也像精湛的音乐演奏一定会伴随产生某种幻觉一样,它就像神明背后的佛光,让人对灼热的生殖产生幻觉。这是必定会打动人心、生意盎然的奇妙之美。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののやうな気がした。俺は反対に不安になり、憂欝になり、空虚な気持になつた。しかし、俺はいまやつとわかつた。
但昨天和前天,让我内心变得阴郁的也是它。我觉得它的美让人难以置信。我反而因此感到不安,觉得忧郁,心情变得空虚。但我现在终于明白了。
お前、この爛漫と咲き乱れてゐる桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まつてゐると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしてゐたかがお前には納得が行くだらう。
你不妨试着想象看看,在这灿放的樱花树下,埋着一具又一具的尸体。这样你就会明白是什么让我感到如此不安了。
馬のやうな屍体、犬猫のやうな屍体、そして人間のやうな屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでゐて水晶のやうな液をたらたらとたらしてゐる。桜の根は貪婪な蛸のやうに、それを抱きかかへ、いそぎんちやく1の食糸のやうな毛根を聚めて、その液体を吸つてゐる。
例如马的尸体、猫狗的尸体,还有人的尸体,尸体全都腐烂长蛆,臭气熏天。而且还有水晶般的液体流淌。樱树根犹如贪婪的章鱼,紧抱着尸体,将宛如海葵触手的须根汇聚在一起,吮吸其液体。
何があんな花弁を作り、何があんな蕋2を作つてゐるのか、俺は毛根の吸ひあげる水晶のやうな液が、静かな行列を作つて、維管束のなかを夢のやうにあがつてゆくのが見えるやうだ。
是什么造就出这样的花瓣?是什么造就出这样的花蕊?我仿佛可以看见须根吸起那水晶般的液体,静静地排着队,在维管束中一路向上攀升,一切宛如在梦中。
――お前は何をさう苦しさうな顔をしてゐるのだ。美しい透視術ぢやないか。俺はいまやうやく瞳を据ゑて桜の花が見られるやうになつたのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になつたのだ。
——你为何苦着一张脸呢?这是很漂亮的透视术,不是吗?我现在好不容易才能定睛细看樱花。我已从昨天和前天令我感到不安的神秘中解脱,得到自由。
二三日前、俺は、ここの渓へ下りて、石の上を伝ひ歩きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて来て、渓の空をめがけて舞ひ上つてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼等はそこで美しい結婚をするのだ。暫らく歩いてゐると、俺は変なものに出喰はした。それは渓の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげらふの屍体だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、産卵を終つた彼等の墓場だつたのだ。
两三天前,我往下来到这里的溪谷,沿着石块走。从溪水溅起的水花中,到处都有蚁蛉像阿佛洛狄忒一样诞生,可以望见它们朝溪流上空振翅飞去。你也知道的,它们在那里举行了一场美丽的婚礼。走着走着,我遇到奇怪的东西。那是在溪水干涸的河滩边遗留的一小摊水中。水面上浮泛着意想不到的光彩,就像石油一般的光彩。你猜那是什么?那是数以万计的蚁蛉尸体。满满覆盖水面的,是它们层层交叠的羽翅,因光线而扭曲变形,呈现出油一般的光彩流动。那里是它们产完卵后的墓地。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のやうな惨忍なよろこびを俺は味はつた。
我看到那一幕时,感觉心中大受冲击。体会到一种残酷的喜悦,与那些以挖坟欣赏尸体为乐的变态很类似。
この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせてゐる木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があつて、はじめて俺の心象は明確になつて来る。俺の心は悪鬼のやうに憂欝に渇いてゐる。俺の心に憂欝が完成するときにばかり、俺の心は和んで来る。
在这个溪谷里,没有能让我开心的东西。不论是黄莺、日本山雀,还是将白亮的阳光转为青翠绿意的树木嫩芽,都不过只是模糊的意象罢了。我需要惨剧。唯有这样的平衡,我心中的意象才能变得明确。我的内心就像恶鬼般渴求忧郁。我的内心只有在忧郁完成时才会变得祥和。
――お前は腋の下を拭いてゐるね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。それで俺達の憂欝は完成するのだ。
——你正在擦拭腋下对吧?是否直冒冷汗呢?我也一样。你大可不必为此感到不愉快。那黏答答的感觉,就像精液一样,你不妨试着这么想。如此一来,我们的忧郁就算完成了。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
啊,樱树下埋着尸体!
一体どこから浮んで来た空想かさつぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになつて、どんなに頭を振つても離れてゆかうとはしない。
到底是从哪儿冒出这样的幻想,我完全没半点头绪,这些尸体如今已完全和樱树合为一体,不管我再怎么甩头,它们也没有要离开的意思。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする。
此刻,我觉得自己和那些在樱树下饮酒寻欢的村民们拥有同样的权利,能边赏花边畅饮美酒。
一九二八年十二月