芥川龍之介: 虱
first published:『希望』1916年5月号
desc: 元治元年,担任京都守护的萨摩藩一众将士,为征讨长州,从大阪安治川口登船出发。船只狭小局促、气味难闻,船上滋生了大量虱子,众人苦不堪言。即便如此,船上的武士们一得空闲,便只顾忙着捉虱。
佃组的船上有个怪人名叫森权之进,他从不捉虱子。此人竟以虱为伴,还说虱子在身上缓缓蠕动,既能助人入眠,又可暖身御寒、免受风寒。同伴们听闻无不诧异,渐渐对他这套 “虱子论” 心生好奇。
一
元治元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐1に加はる為、国家老2の長大隅守3を大将にして、大阪の安治川口から、船を出した。
元治元年十一月二十六日,正逢幕府征讨长州藩,时任京都守护职的加州藩阀一队人马便相机而动,由国家老家臣之长大隅守护为首领,掌舵从大阪安治川河口出发。
小頭は、佃久太夫、山岸三十郎の二人で、佃組の船には白幟、山岸組の船には赤幟が立つてゐる。五百石積の金毘羅船4が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、川口を海へのり出した時の景色は、如何にも勇ましいものだつたさうである。
两位小头目分别是佃久太夫和山岸三十郎,佃久组船上悬白帜,山岸组船上悬红帜。载重五百石的金毗罗船上竖起的红白旗幡随风飘扬,顺着河口驶向大海,那场面该是多么英勇壮观啊!
しかし、その船へ乗組んでゐる連中は、中々勇ましがつてゐる所の騒ぎではない。第一どの船にも、一艘に、主従三十四人、船頭四人、併せて三十八人づつ乗組んでゐる。だから、船の中は、皆、身動きも碌に出来ない程狭い。それから又、胴の間には、沢庵漬を鰌桶へつめたのが、足のふみ所もない位、ならべてある。慣れない内は、その臭気を嗅ぐと、誰でもすぐに、吐き気を催した。最後に旧暦の十一月下旬だから、海上を吹いて来る風が、まるで身を切るやうに冷い。殊に日が暮れてからは、摩耶5颪6なり水の上なり、流石に北国生れの若侍も、多くは歯の根が合はないと云ふ始末であつた。
不过,船上的这伙人却谈不上英勇。首先,每艘船载有三十四名主仆官兵、四名船夫,共三十八人。因而,船上的人挤得密匝匝的。其次,人堆中还塞满了几桶腌制的黄萝卜咸菜,让船上的人更无下脚之处。在习惯那股腥臭味之前,不论是谁一闻便立马作呕。再次,由于时值农历十一月下旬,严寒刺骨,海风凛冽,吹在人身上如刀割般疼,天黑后更甚,加之摩耶山上刮来的山风前后夹攻,哪怕是出身于北方的年轻武士,也大多牙关咯咯响,冻得直打哆嗦。
その上、船の中には、虱が沢山ゐた。それも、着物の縫目にかくれてゐるなどと云ふ、生やさしい虱ではない。帆にもたかつてゐる。幟にもたかつてゐる。檣7にもたかつてゐる。錨にもたかつてゐる。少し誇張して云へば、人間を乗せる為の船だか、虱を乗せる為の船だか、判然しない位である。勿論その位だから、着物には、何十匹となくたかつてゐる。さうして、それが人肌にさへさはれば、すぐに、いい気になつて、ちくちくやる。それも、五匹や十匹なら、どうにでも、せいとうのしやうがあるが、前にも云つた通り、白胡麻をふり撒いたやうに、沢山ゐるのだから、とても、とりつくすなどと云ふ事が出来る筈のものではない。だから、佃組と山岸組とを問はず、船中にゐる侍と云ふ侍の体は、悉く虱に食はれた痕で、まるで麻疹にでも罹つたやうに、胸と云はず腹と云はず、一面に赤く腫れ上がつてゐた。
除此之外,船上虱子还很多,还不是那种藏在衣缝里的普通虱子。它们爬满了整艘帆船,旗幡、桅杆和船锚,说得稍微夸张一点,这船到底是载人的,还是载虱子的,都分不清了。衣服上爬着的可不只是几十只虱子。一旦接触到人的皮肤,尝到甜头的它们便会兴奋不已,狠狠地咬起来。如果只有五只、十只的话,解决起来自然不在话下。但正如方才所说,虱子的数量已经多到像船上撒了白芝麻一般密密麻麻,怎么也没法彻底清除,众人束手无策。观之,无论是佃组还是山岸组,船只上的武士被咬得体无完肤,不仅胸腹遭殃,全身上下都布满了红肿斑痕,跟麻疹一样。
しかし、いくら手のつけやうがないと云つても、そのまま打遣つて置くわけには、猶行かない。そこで、船中の連中は、暇さへあれば、虱狩をやつた。上は家老から下は草履取8まで、悉く裸になつて、随所にゐる虱をてんでに茶呑茶碗の中へ、取つては入れ、取つては入れするのである。大きな帆に内海の冬の日をうけた金毘羅船の中で、三十何人かの侍が、湯もじ一つに茶呑茶碗を持つて、帆綱の下、錨の陰と、一生懸命に虱ばかり、さがして歩いた時の事を想像すると、今日では誰しも滑稽だと云ふ感じが先に立つが、「必要」の前に、一切の事が真面目になるのは、維新以前と雖も、今と別に変りはない。――そこで、一船の裸侍は、それ自身が大きな虱のやうに、寒いのを我慢して、毎日根気よく、そこここと歩きながら、丹念に板の間の虱ばかりつぶしてゐた。
不过,虽然无法彻底消除虱子,但也不能坐以待毙。于是,大家伙儿一闲下来,就开始捉虱子。上至家老,下至草履取,尽褪去衣衫,寸丝不挂,遍寻虱子,然后一个接一个地捉进茶碗里。试想一下这样一个场景:濑户内海的冬日阳光倾泻在这艘悬挂巨帆的金毗罗船上,三十多个武士都只穿着一条大裤衩,捧着茶壶茶碗,于帆索绳下、船锚之后,心无旁骛地捉着虱子。此情此景,现今任谁看来第一观感都甚觉滑稽。但在明治维新前,有一点与当今社会是别无二致的:在形势所迫的“必要性”面前,万事皆非儿戏。赤身裸体的武士们满满当当蜷缩在这艘船上,这与船上俯拾皆是的虱子们又有何异呢?他们不畏严寒,日复一日,不厌其烦地寻来找去,再一个个掐死木板缝隙里的虱子。
二
所が佃組の船に、妙な男が一人ゐた。これは森権之進と云ふ中老のつむじ曲り9で、身分は七十俵五人扶持の御徒士10である。この男だけは不思議に、虱をとらない。とらないから、勿論、何処と云はず、たかつてゐる。髷ぶしへのぼつてゐる奴があるかと思ふと、袴腰のふちを渡つてゐる奴がある。それでも別段、気にかける容子がない。
然而,在佃组的船上,有一个行事古怪的男人。名叫森权之进,年龄约莫五十岁,性格乖张,是位享有七十俵五人扶持的御徒士。说来,这个人也真够怪的,他从不捉虱子。不捉,虱子自然就爬得满身都是,有的在他发髻根安居,有的在他裙裤腰上栖身。尽管如此,他也毫不在意。
ではこの男だけ、虱に食はれないのかと云ふと、又さうでもない。やはり外の連中のやうに、体中金銭斑々とでも形容したらよからうと思ふ程、所まだらに赤くなつてゐる。その上、当人がそれを掻いてゐる所を見ると、痒くない訳でもないらしい。が、痒くつても何でも、一向平気で、すましてゐる。
那么难道是虱子不咬这个人吗?事实并非如此。他也和其他人一样,全身都受类似金钱斑的红肿困扰;而且,从他本人使劲挠痒痒的样子来看,也并非感受不到痒。不过,痒也好,不痒也罢,无论怎么个情况,他都不以为意,听之任之。
すましてゐるだけなら、まだいいが、外の連中が、せつせと虱狩をしてゐるのを見ると、必わきからこんな事を云ふ。――
如果他只是放任不理自己身上的虱子倒也罢了,可是看到外面的人在吭哧吭哧忙着捉虱子的时候,他也会凑到别人跟前说道:
「とるなら、殺し召さるな。殺さずに茶碗へ入れて置けば、わしが貰うて進ぜよう。」
“捉到虱子,先别弄死。把活的放到茶碗里,给我吧!”
「貰うて、どうさつしやる?」同役の一人が、呆れた顔をして、かう尋ねた。
就有一个人摸不着头脑了,难以置信地问道:“你要这个干什么?”
「貰うてか。貰へばわしが飼うておくまでぢや。」森は、恬然として答へるのである。
“要来嘛,自然是养起来啊。”森泰然自若地回答。
「では殺さずにとつて進ぜよう。」
“好吧,那捉活的送你啊。”
同役は、冗談だと思つたから、二三人の仲間と一しよに半日がかりで、虱を生きたまま、茶呑茶碗へ二三杯とりためた。この男の腹では、かうして置いて「さあ飼へ」と云つたら、いくら依怙地11な森でも、閉口するだらうと思つたからである。
那人觉得这大抵不过是个玩笑话,就和另外两三个人花了半天时间,活捉到满满两三茶碗的虱子。他们就想看看热闹:把这几个茶碗放在森权之进的面前,对他说“给你,拿去养着吧!”到时候森再打算打肿脸充胖子,恐怕只会落得个哑口无言的下场。
すると、こつちからはまだ何とも云はない内に、森が自分の方から声をかけた。「とれたかな。とれたらわしが貰うて進ぜよう。」
刚放下茶碗,还没有等那人说话,森权之进就先开口了:“真捉到啦,捉到了就给我吧!”
同役の連中は、皆、驚いた。
大伙儿无一不心头一惊。
「ではここへ入れてくれさつしやい。」森は平然として、着物の襟をくつろげた。
“来,倒到这里边来吧!”森权之进满不在乎地把衣领敞开。
「痩我慢をして、あとでお困りなさるな。」
“你可别死要面子活受罪啊,待会儿可有你受的!”
同役がかう云つたが、当人は耳にもかけない。そこで一人づつ、持つてゐる茶碗を倒にして、米屋が一合枡12で米をはかるやうに、ぞろぞろ虱をその襟元へあけてやると、森は、大事さうに外へこぼれた奴を拾ひながら、「有難い。これで今夜から暖に眠られるて。」といふ独語を云ひながら、にやにや笑つてゐる。
同伴出言劝他,但是森权之进本人充耳不闻。大家便一个接一个拿着茶碗倒,就像米店用升子量米,把海量的虱子一股脑儿倒进他领口里。然后,森权之进还把掉在外边的虱子一个不落地拾起来,一边自言自语地嘟囔着,一边高兴得乐呵呵笑着:“谢谢啦!从今晚起,可算是能睡个热乎觉了。”
「虱がゐると、暖うこざるかな。」呆気にとられてゐた同役は、皆互に顔を見合せながら、誰に尋ねるともなく、かう云つた。
“把虱子放在身上,就能暖和吗?”大家听后张目结舌,个个面面相觑,异口同声道。
すると、森は、虱を入れた後の襟を、丁寧に直しながら、一応、皆の顔を莫迦にしたやうに見まはして、それからこんな事を云ひ出した。「各々は皆、この頃の寒さで、風をひかれるがな、この権之進はどうぢや。嚔もせぬ。洟もたらさぬ。まして、熱が出たの、手足が冷えるのと云うた覚は、嘗てあるまい。各々はこれを、誰のおかげぢやと思はつしやる。――みんな、この虱のおかげぢや。」
森权之进把虱子塞进衣领仔细地整理一番后,用蔑视的眼神,把这些人上下打量了一番,解释说:“最近天冷得紧,大伙儿不是都冻感冒了吗?可你们瞧瞧我权之进怎么样了呢?不打喷嚏,不流鼻涕。别说这些了,我连什么发烧啊、手脚冰凉的情况都从未有过。你们知道这是沾了谁的光吗?大伙儿们,这可多亏了这些虱子啊!”
何でも森の説によれば、体に虱がゐると、必ちくちく刺す。刺すからどうしても掻きたくなる。そこで、体中万遍なく刺されると、やはり体中万遍なく掻きたくなる。所が人間と云ふものはよくしたもので、痒い痒いと思つて掻いてゐる中に、自然と掻いた所が、熱を持つたやうに温くなつてくる。そこで温くなつてくれば、睡くなつて来る。睡くなつて来れば、痒いのもわからない。――かう云ふ調子で、虱さへ体に沢山ゐれば、睡つきもいいし、風もひかない。だからどうしても、虱飼ふべし、狩るべからずと云ふのである。……
依森权之进说的来看,虱子一旦爬到身上,必然会狠狠地咬人。虱子咬哪儿就得去挠哪儿。它们无孔不入,自然就得挠遍全身。人受生理本能驱使,一觉得痒痒就去挠,挠的地方自然就发热,身子也就暖和起来。全身一热乎,人就容易犯困。一入睡,便也不觉痒意。如此一来,身上的虱子越多,人就睡得越香,还不会感染上风寒。所以,无论怎样也都该好好养这些虱子,而不应该捉了弄死……
「成程、そんなものでこざるかな。」同役の二三人は、森の虱論を聞いて、感心したやうに、かう云つた。
“哦,原来是这么回事啊!”那两三人听完这番阔论后,不禁大为钦佩。
三
それから、その船の中では、森の真似をして、虱を飼ふ連中が出来て来た。この連中も、暇さへあれば、茶呑茶碗を持つて虱を追ひかけてゐる事は、外の仲間と別に変りがない。唯、ちがふのは、その取つた虱を、一々刻銘に懐に入れて、大事に飼つて置く事だけである。
打那以后,船里也有人学着森权之进,养起了虱子来。森权之进一得闲,便拿着茶碗到处捉虱子,这点倒是和其他人一样。其中唯有一点不同,就是他把捉到的虱子一个个都细致地倒进自己的怀里,当块宝似的认真加以喂养。
しかし、何処の国、何時の世でも、Précurseur の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にの説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論に反対する、Pharisien が大勢ゐた。
不过,无论身处哪个国家、什么时代,人们都很少能够接受这样的先驱者的阔论。这艘船上完全不能接受甚至反对森的养虱论的墨守成规者也不在少数。
中でも筆頭第一の Pharisien は井上典蔵と云ふ御徒士である。これも亦妙な男で、虱をとると必ず皆食つてしまふ。夕がた飯をすませると、茶呑茶碗を前に置いて、うまさうに何かぷつりぷつり噛んでんでゐるから、側へよつて茶碗の中を覗いて見ると、それが皆、とりためた虱である。「どんな味でござる?」と訊くと、「左様さ。油臭い、焼米のやうな味でござらう」と云ふ。虱を口でつぶす者は、何処にでもゐるが、この男はさうではない。全く点心を食ふ気で、毎日虱を食つてゐる。――これが先、第一に森に反対した。
其中,为首的保守分子是一个叫井上典藏的御徒士,他把捉到的虱子统统吃掉,也算是奇特。晚饭过后,井上就把茶碗放到自己面前,津津有味地咕叽咕叽嚼着什么,走近一看,原来碗里都是捉来的虱子。有人问:“这吃起来啥味道呀?”他回答道:“那可美了啊!油滋滋的,像吃烤米一样。”用嘴咬虱子的其实也大有人在,但井上却不太一样。他每天完全是把虱子当点心来吃的。正因如此,他第一个反对森的养虱论。
井上のやうに、虱を食ふ人間は、外に一人もゐないが、井上の反対説に加担をする者は可成ゐる。この連中の云ひ分によると、虱がゐたからと云つて、人間の体は決して温まるものではない。それのみならず、孝経にも、身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始なりとある。自、好んでその身体を、虱如きに食はせるのは、不孝も亦甚しい。だから、どうしても虱狩るべし。飼ふべからずと云ふのである。……
像井上那样吃虱子的人,固然找不到第二个了,倒是支持井上反对森的理论的人不在少数。这伙人认为,身上有虱子是决不能让身子热乎起来的。更何况,《孝经》里还写道:“身体发肤,受之父母,不敢毁伤,孝之始也。”自愿让虱子这类东西去叮咬身体的这种行径,不孝至甚。所以,无论怎么说,也都该捉虱子,而不该去养虱子什么的……
かう云ふ行きがかりで、森の仲間と井上の仲間との間には、時折口論が持上がる。それも、唯、口論位ですんでゐた内は、差支へない。が、とうとう、しまひには、それが素で、思ひもよらない刃傷沙汰さへ、始まるやうな事になつた。
接着,事态发展到森派和井上派意见不一致就要发生争论的地步。要只是口角之争也就罢了,但两派矛盾逐渐升级,到后来出乎大家意料,还是由争吵最终演变升级到动刀动枪的局势了。
それと云ふのは、或日、森が、又大事に飼はうと思つて、人から貰つた虱を茶碗へ入れてとつて置くと、油断を見すまして井上が、何時の間にかそれを食つてしまつた。森が来て見ると、もう一匹もない。そこで、この Précurseur の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にが腹を立てた。
某天,森又想悉心饲养一批虱子,便从别人那儿讨要,装进碗里盛着,但井上趁其不备,在森不知情的情况下就把碗里的虱子吃了个精光。森回来一看,已经一个都不剩了。由于这种先驱理论很少被大家接受,船上恼火森的人也比比皆是。如此一来,这位先驱者也勃然大怒。
「何故、人の虱を食はしつた。」張肘をしながら、眼の色を変へて、かうつめよると、
他双手交叉抱于胸前,拉下脸来,气势汹汹地向前逼问井上:“你干吗吃别人的虱子?”
井上は、「自体、虱を飼ふと云ふのが、たはけぢやての。」と、空嘯13いて、まるで取合ふけしきがない。
井上嗤之以鼻,似是懒得和他争辩:“依我看,养虱子这种事真的蠢透了。”
「食ふ方がたはけぢや。」森は、躍起となつて、板の間をたたきながら、「これ、この船中に、一人として虱の恩を蒙らぬ者がござるか。その虱を取つて食ふなどとは、恩を仇でかへすのも同前ぢや。」
“吃虱子才蠢呢!”森反唇相讥,气得跳起来一边拍打船板一边叫嚷,“你说说,这船上谁没从虱子那儿得到过好处?你居然还要捉虱子吃,这和恩将仇报有什么两样!”
「身共は、虱の恩を着た覚えなどは、毛頭ござらぬ。」
“我可从来不觉得自己受过虱子的什么好处。”
「いや、たとひ恩を着ぬにもせよ、妄に生類の命を断つなどとは、言語道断でござらう。」
“好!就算是你没有得到好处吧,但你这么草率地就把一条生命给断送了,实在可恶至极!”
二言三言云ひつのつたと思ふと、森がいきなり眼の色を変へて、蝦鞘巻の柄に手をかけた。勿論、井上も負けてはゐない。すぐに、朱鞘の長物をひきよせて、立上る。――裸で虱をとつてゐた連中が、慌てて両人を取押へなかつたなら、或はどちらか一方の命にも関る所であつた。
他俩你一言我一语,也争论不出个所以然,于是森眼神突变,气氛变得剑拔弩张了起来,他伸手抓住红漆腰刀的刀把。井上自然也不甘示弱,马上操起长腰刀,站起身来。其他人因为捉虱子,保持着一丝不挂的状态,却也向前慌忙制止住他俩,要不然说不定哪一方就会面临性命之危了。
この騒ぎを実見した人の話によると、二人は、一同に抱きすくめられながら、それでもまだ口角に泡を飛ばせて、「虱。虱。」と叫んでゐたさうである。
据在场之人所述,那俩人打作一团被人拉开的时候,嘴里唾沫横飞,还在不停叫嚷着“虱子!虱子!”。
四
かう云ふ具合に、船中の侍たちが、虱の為に刃傷沙汰を引起してゐる間でも、五百石積の金毘羅船だけは、まるでそんな事には頓着しないやうに、紅白の幟を寒風にひるがへしながら、遙々として長州征伐の途に上るべく、雪もよひの空の下を、西へ西へと走つて行つた。
就这样,纵使船上的武士们都在为虱子一事争执不下,吵得不可开交,唯有这艘负载五百石的金毗罗船似乎完全不把这事放在心上。红、白旗幡于寒风中飘扬漫卷,云迷雾锁,冷风朔朔,寒空动烟雪,六出花飞处处飘,遥遥西向,拟征长州藩。
(大正五年三月)
Footnotes
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長州征伐:江户时代后期,长州藩图谋对京都的政局进行干涉。代表中央政权的江户幕府在 1864 年对长州藩进行了征伐 ↩
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国家老:江户时代幕府或藩中的职位。在幕府或藩中地位很高,仅次于幕府将军和藩主。在自己领地内的家老称为国家老 ↩
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大隅守:官职,即大隅守护之职。大隅国是日本古代的令制国之一,属西海道 ↩
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金毘羅船:江户时代为载运香客去四国参拜金毗罗宫而开通的船只 ↩
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摩耶:摩耶山位于兵库县神户市滩区六甲山地中央 ↩
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颪:[名]冬季に山などから吹き下ろす風 ↩
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檣:[名]船に帆を展張するために立てる柱 ↩
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草履取:勤杂工,住在武士宅邸中但不是武士 ↩
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旋毛曲り:[名・形動]性質がひねくれていてすなおでないこと ↩
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御徒士:享有七十草袋米、五人俸禄的徒步扈从,是随从将军出行时,在前面行走开道的下级武士 ↩
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意固地:[名・形動]意地を張ってつまらないことに頑固なこと ↩
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一合枡:[名]メートル法実施以前に使用された日本固有の計量器。液体、穀物などの量を計る、一合入りの容器 ↩
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空嘯:[名]何気ないふうをよそおうこと ↩