谷崎潤一郎: 细雪(上) 十八
first published:『中央公論』1943年1月号・3月号
audio: https://www.youtube.com/watch?v=8lduuAxHmK8
desc: 在大阪船场坐拥百年老店、历史底蕴深厚的莳冈家,鹤子、幸子、雪子、妙子四姐妹交织出百态人情。小说如华美画卷,循着四季流转,细致描绘出昭和十年间关西上流社会的日常光景。
三女雪子是四姐妹中容貌最为出众之人,婚事却屡屡未果,年过三十依旧独身。幸子夫妇为此忧心不已、四处奔走,性格沉默寡言的雪子却对每一门亲事都无意应允,岁月便这般缓缓流逝。
原籍地 兵庫県姫路市竪町二〇番地 現住所 神戸市灘区青谷四丁目五五九番地 野村巳之吉 明治廿六年九月生 学歴 大正五年東京帝大農科卒業 現職 兵庫県農林課勤務水産技師 家庭及ビ近親関係 大正十一年田中家ノ次女徳子ヲ娶リ一男一女ヲ生ム。長女ハ三歳ノ時死亡。妻徳子ハ昭和十年流感ニテ死亡。ツイデ十一年長男モ十三歳ニテ死亡ス。両親ハ早ク世ヲ去リ、妹一人アリ、太田家ニ嫁シ、東京ニ住居ス 以上
原籍 兵库县姬路市竖町二十号 现住 神户市滩区青谷四丁目五五九号 野村巳之吉 明治廿六年九月生 学历 大正五年东京帝大农科毕业 现职 兵库县农林课水产技师 家庭及亲属关系 大正十一年娶田中家次女德子为妻,生一男一女。长女三岁死亡。妻德子于昭和十年患流感去世。其后长子于昭和十一年死亡,时年十三。双亲早故,有妹一人,嫁太田家,现住东京
台紙の裏に本人自筆のペン字でこう云う事項を記載した手札型の写真が、幸子の女学校時代の同窓である陣場夫人から郵送されて来たのは三月の下旬頃のことであった。幸子はそれを受け取る迄はつい忘れていたのであったが、そう云えば去年、ちょうど瀬越との間の話が停頓していた十一月の末の或る日、大阪の桜橋交叉点のところで、陣場夫人に行き遇って二三十分立ち話をした時に、雪子の噂が出、ふうん、そんならあの妹さん、まだ結婚しやはれへんの、と云うようなことから、ええとこがあったら世話してほしいねんわ、とそう云って別れたことがあったのを思い出した。でもその時は瀬越の話が纏まりそうな気がしていたので、半分はおあいその積りで云ったのであったが、陣場夫人の方は心にかけていてくれたと見えて、その後妹さんはどうしておいでになるか、実はあの時はうっかりしていたが、私の夫の恩人に当る関西電車社長浜田丈吉氏の従弟で、先年細君に死に別れて目下後妻を求めている人があり、是非良い縁を捜してくれるようにと、浜田氏から熱心な依頼を受け、本人の写真まで預かっている口があるので、ふっと妹さんのことを考えついた、夫はその人をよく知っている訳ではないが、浜田氏が保証するからには間違いのない人物であろうと云っている、兎も角も別便に託して、写真をお送りして見るから、お気持があるなら台紙の裏に書いてある事項に基づいて、詳細のことはそちらで調べて戴きたい、その上で適当な縁と思われたら、お申越次第いつでも御紹介の労を取ることにしよう、こう云う話はお目に懸ってお話するのが本当だけれども、押し付けがましくなっても如何と思うので、一往手紙でお伺いする、と、そう云って来て、その明くる日に写真が届けられたのであった。
三月下旬,幸子的女子中学同学阵场夫人邮寄来了一张四寸的照片,照片的衬纸背面有本人用钢笔写的上述事项。直到这时,幸子才想起了这回事。去年十一月底,正当濑越那门亲事陷入了停顿状态,某一天,幸子在大阪樱桥交叉路口遇见了阵场夫人,站着和她聊了二三十分钟。当时曾谈到雪子的事。阵场夫人说:“哦,这样说来,你妹妹还没结婚?”幸子说:“如果有适合的对象,请你帮忙介绍。”说完两人便分手了。不过,当时濑越这门亲事还有可能成功,所以她的话半是应酬而已。然而,阵场夫人似乎挂在心上了。她在来信中说:“后来令妹的情况怎样了?实话说,那天我一时疏忽忘了说,我丈夫的恩人、现任关西电车公司经理的滨田文吉有个表弟,前几年妻子去世,眼下正准备续弦,滨田热心托我丈夫为他表弟找一门好亲事,并把他的照片放在我们这里。我忽然想起了令妹的事。虽然我丈夫对他不太了解,但他说,有滨田的保证,想必不会错的。我会另函寄照片给你们看看。如果有意,请府上对衬纸背面所写事项做进一步的调查。如果认为合适请来信通知,我随时效劳介绍。这件事本应赴府上面谈,又怕有强人所难之嫌,所以暂先写信询问。”第二天又收到这张照片。
幸子はそれを受け取ったと云う挨拶を兼ねて、直ぐ礼状を出したことは出したけれども、去年井谷に責められて懲りているので、今度は安請合をしないことにして、御親切は身に沁みて 忝 ないが、この御返事は一二箇月待って戴きたい、と云うのは、ついこの間一つ縁談があったのを破談にしたばかりのところなので、妹の心理状態を考えると、ここ暫く期間を置いて次の話を持ち出した方がよさそうに思う、そして今度は出来るだけ慎重を期し、調査も十分にした上で、お願いするものならお願いしたい、御承知のようにあの妹は大分婚期がおくれているので、あまりたびたび見合いをさせてそれが不結果に終るようになるのは、姉の身としていかにも当人がいじらしいから、と、そう正直に云ってやった。
幸子立刻写了回信,表示已经收到照片并向她致谢。不过,她吸取了去年遭受井谷责怨的教训,这回决定不轻易答应。她在回信中老老实实地写道:“承蒙关怀,不胜感激。不过,要等一两个月后才能给您答复。原因是最近刚有一门亲事谈崩了,考虑到舍妹的心理状态,还是再过一段时候为好。而且,这次希望尽可能慎重,在充分调查以后,需要劳动大驾时再拜托您。您也知道舍妹婚事耽误已久,安排她相亲也有多次,但都一无所成。我身为姐姐实在觉得她可怜。”
で、まあ今度は慌てずに、自分達の手でゆっくり調べてから、よいとなったら本家に話をし、その上で雪子にも云うことにしようと、貞之助とそんな風に話し合っていたのであったが、正直のところ、幸子はそれほど気乗りがしている訳ではなかった。勿論調べてみないことには何とも云えないし、財産のあるなしが全然書いてないけれども、台紙の裏の記載を読んだだけでも、瀬越の時よりずっと条件の悪いことが分る。第一に年齢が貞之助より二つも上であると云うこと。第二に初婚でないと云うこと。尤も先妻の子は二人とも死んでしまっているので、それは気楽であるが、幸子が見て、何より雪子が好い返事をしないであろうと思われるのは、風采の点で、写真で見たところえらく老けていて、じじむさい1感じのする顔なのである。実物は又違うと云うこともあろうけれども、求婚のために送って来た写真がこうだとすると、恐らくこれ以上老けて見えることはあっても、若く見えると云うことはあるまい。何も好男子でなくてもよいし、実際の年は貞之助より上であっても構わないが、二人並んで盃をする時に、花婿の風采があまり爺々して見えるのでは、雪子が可哀そうでもあるし、折角世話をした自分達にしても、列席の親類達に対して鼻を高くすることが出来ない。矢張いくらかは新郎らしい若々しさ、と云うのが無理なら、何処か溌剌とした、色つやのよい、張り切った感じの人であってほしい。―――それやこれやを考えると、幸子はどうもこの写真の人では気が進まないので、さしあたり急いで調べようともせず、そのまま一週間ばかり握り潰していたのであった。
和贞之助商量这件事时,幸子说:“这一次可要不慌不忙,由我们慢慢地调查以后,如果觉得合适再告诉本家,最后再和雪子说吧。”不过,说实话,幸子对这门亲事意兴阑珊,当然,不经过调查是很难说的。财产有无,对方只字未提,但是,若只看衬纸背面记载事项,与濑越相比也相差甚远。首先年龄比贞之助大两岁,其次是结过婚的。不过,前妻和两个子女都已不在,这一点还无须多虑。幸子推想雪子大概不会中意,首先是看不上他的相貌,照片上此人很显老,给人感觉脸上脏兮兮的。照片与本人往往有些差别,不过为了求婚送来的照片尚且如此,恐怕本人只会更加苍老而不会更显年轻吧。不是美男子也无妨,年龄比贞之助大也未尝不可,但日后一对新人比肩举杯时,这位新女婿竟像一位老爷爷,不仅雪子可怜,为雪子亲事操劳奔走的幸子夫妇面对列席的亲戚朋友,脸上也毫无光彩!要求新郎翩翩年少固然勉为其难,但至少也要精力充沛,脸色丰润,精神抖擞。幸子左思右想,对照片上的这一位怎么也看不上,也就没有急于着手调查,就这样搁置了一个星期。
が、そのうちに気が付いたことと云うのは、先日「写真在中」とした郵便物が届いた時に、雪子がちらと見て知ってはいなかったであろうか、そうだとすると、黙っていては却って隠しごとをしているようで、変に感じはしないであろうか、と云うことであった。幸子としては、雪子の様子に表面何の変ったところも認められないようなものの、この間のことが矢張多少は精神的に創痍をとどめてはいないかと考え、そう矢継早やにあとの話を持ち出すことは控えた方がよいと思っていた訳であるが、何処からか写真を送って来ているのに、中姉ちゃんはなぜ淡泊に打ち明けて云ってくれないのかと、此方の折角の心づかいを不自然な細工をしているように取っても困る、そのくらいならいっそ最初に写真を示して、肝腎の当人が何と云うか、反応を見るのも一つの方法であるかも知れない、と、又そう思い直したので、
可是,这几天幸子想到了,那天写有“内有照片”的信件送到时,雪子曾看了一眼,她是否察觉了?假使她已知道了,自己默不作声反而显得是故意瞒着她,令她产生误解。幸子认为,雪子表面像是没有什么变化,但濑越之事多少使她受了一些心灵创伤,照说不应急着又提亲。但雪子可能会猜想:那照片是哪儿寄来的?二姐为什么不向我讲明?这样她会误认为姐姐的良苦用心是在耍什么花招,反倒弄巧成拙。既然如此,倒不如一开始就把照片给她,看看当事人究竟怎样说,有何反应,也许不失为一个办法。于是,幸子改变了主意。
或る日神戸へ買い物に出ようとして、二階の化粧部屋で着換えをしているところへ這入って来た雪子に、
某一天,幸子要去神户买东西,在楼上的化妆室换衣服,雪子走了进来。
「雪子ちゃん、又一つ写真が来てるねんで」と、ふっと云いながら、答は待たずに、「これやわ」と、すぐ用箪笥の小抽出から出して見せた。「その裏に書いてあるのん読んで御覧。―――」
“雪妹,又来了一张照片。”幸子突然说道,没等雪子回答又说,“就是这个。”说着从衣橱的小抽屉里拿出照片给她看,“那背面写的,也请看看。”
雪子は黙って受け取って、写真はちょっと見ただけで、裏を返して読んでいたが、「誰から送って来やはったん」
雪子默默地接过照片瞟了一眼,又看了看背面,问道:“谁寄来的?”
「雪子ちゃん陣場さん知ってるやろ、女学校時分に今井云うてはった―――」
“你应该认识阵场夫人,女子中学时代她姓今井。”
「ふん」
“哦。”
「いつやったか、あの人に路で会うた時、雪子ちゃんの話が出たよってに頼んだことがあってんわ。そしたら、気にかけててくれはったと見えて、それ送って来やはってん」
“记不得是哪一天了,我在路上碰到她,说到你的婚事,就拜托了她。看来她很上心,寄来了这张照片。”
「………」
「別に今すぐ返事せんならんことないねん。実は今度は、先にすっかり調べてしもてから雪子ちゃんに云おう思うててんけど、何や隠してるみたいになってもけったいなさかい、まあ見せるだけ見せとくわな。―――」
“这事儿用不着马上回复。其实,这一次我本想先调查清楚后再告诉你,可是倒像我要隐瞒什么似的,怕你会感到奇怪,还是先给你看看好了……”
手にある写真を持てあつかって、違い棚の上に置くと、廊下の欄干のところへ出て行ってぼんやり庭を見おろしている雪子の、後姿に向って幸子はつづけた。
雪子把照片放到交错搁板橱架上,走到走廊的栏杆边,呆呆地俯视着庭院。对着雪子的背影,幸子继续说:
「今のとこ、雪子ちゃんは何も考えへんかてええねん。気イ進まんかったら、こんな話聞かなんだことにしときなさい。折角云うて来てくれはったよってに調べてみよう思うてるけど。―――」
“现在你什么也不用想,如果看不上就全当没听到这回事。不过人家特意来提亲,我想调查一下看看……”
「中姉ちゃん、―――」雪子は何と思ったか、しずかに此方を向き直りながら、努めて口元に微笑を浮かべるようにして云った。「―――縁談の話やったら、云うてほしいねんわ。あたしかて、そんな話がまるきりないのんより、何か彼か云うてもろてる方が、張合があるような気イするよってに。―――」
“二姐,”雪子似乎想起了什么,缓缓转过身来,嘴角上勉强挤出一丝微笑,“亲事嘛,我也希望有人来提。与其完全无人登门,倒不如这个那个来提一提,感到有点奔头……”
「そうか」
“是吗?”
「ただ見合いだけは、よう調べてからにしてほしいねん。外の事はそんなにむずかしゅう考えてくれんかてええねんわ」
“只是希望在调查好了以后再相亲,其他的事不必为我想得太多。”
「そうかいな。そない云うてくれると、あたしかてほんまに骨折がいがあるねん」
“真的吗?你能这样说,我再操心也值得。”
幸子は身支度をしてしまうと、そんならちょっと、晩の御飯までに帰って来るよってに、と云い置いてひとりで出かけたが、雪子は姉が脱ぎ捨てて行った不断着を衣紋竹にかけ、帯や帯締を一と纏めにして片寄せてから、なお暫くは手すりに靠れて庭を見ていた。
幸子装扮完了,说了声“我出去一会儿,晚饭以前回来”,便独自出门去了。雪子把她换下的衣服挂在衣架上,腰带和带扣也归到一起,然后凭栏观赏院子的景色。
蘆屋のこのあたりは、もとは大部分山林や畑地だったのが、大正の末頃からぽつぽつ開けて行った土地なので、この家の庭なども、そんなに広くはないのだけれども、昔の面影を伝えている大木の松などが二三本取り入れてあり、西北側は隣家の植え込みを隔てて六甲一帯の山や丘陵が望まれるところから、雪子はたまに上本町の本家へ帰って四五日もいてから戻って来ると、生れ変ったように気分がせいせいするのであった。彼女が今立って見おろしている南側の方には、芝生と花壇があり、その向うにささやかな築山があって、白い細かい花をつけた小手毬が、岩組の間から懸崖になって水のない池に垂れかかり、右の方の汀には桜とライラックが咲いていた。但し、桜は幸子が好きなので、たとい一本でも庭に植えて自分の家で花見をしたいからと、二三年前に入れさせたもので、それが咲く時はその木の下に床几2を出したり毛氈を敷いたりするのだけれども、どう云う訳か育ちが悪くて、毎年頗る貧弱な花をしか着けないのであるが、ライラックは今雪のように咲き満ちて、芳香を放っていた。そのライラックの木の西に、まだ芽を出さない栴檀と青桐があり、栴檀の南に、仏蘭西語で「セレンガ」と云う灌木の一種があった。雪子たちの語学の教師であるマダム塚本と云う仏蘭西人が、自分の国に沢山あるセレンガの花を、日本へ来てから見たことがなかったのに、この庭にあるのは珍しいと云って、ひどく懐しがってから、雪子たちもこの木に注意するようになり、仏和辞典を引いてみて、日本語では「さつまうつぎ」と云うところの卯木の一種であることを知ったが、この花の咲くのは、いつも小手毬やライラックが散った後、離れ座敷の袖垣のもとにある八重山吹の咲くのと同時ぐらいなので、今はまだ、ようよう若葉が芽を吹きかけているだけである。その「さつまうつぎ」の向うが、シュトルツ氏の裏庭との境界の金網になっていて、網に沿うた青桐の下の、午後の陽光がうらうらと照っている芝生の上に、悦子がさっきからローゼマリーと二人で蹲踞まりながら、飯事をしていた。二階の欄干から見おろすと、玩具の寝台や、洋服箪笥や、椅子や、テーブルや、西洋人形など、こまこました物が並んでいるのが残らず見分けられ、二人の少女の甲高い声がはっきり聞き取られるのであるが、二人は雪子に見られていることに気が付かないで、遊びに夢中になっていた。
芦屋这一带原来大部分是山林和旱田,大正末期才逐渐开发。这个院子虽然不很宽大,但是从院内尚留存的两三株大松树,还可窥见昔日风貌之一二。西北方向,透过邻家院子的树丛,可以远眺六甲一带的山岳丘陵。雪子偶尔去上本町的本家住四五天,回来后登楼凭眺,总有隔世之感。她现在俯瞰的南面一带,有草坪和花坛,再往前是一座玲珑的假山,开着雪白小花的珍珠梅,立在岩石砌成的悬崖上,下临一个已然干涸的池塘,在右侧岸边,樱花和紫丁香已是盛开。樱花为幸子之至爱,她认为哪怕在院子里栽一株也好,便可足不出户地赏花,所以,两三年前叫人栽下了这株樱花。每逢樱花时节,就在那树下摆上帆布折椅,铺上地毯,合家赏花。但不知何故,这株樱花长势不佳,每年挂的朵儿都很稀疏、瘦小,而紫丁香如今已像雪花一样盖满枝头,散发馨香。紫丁香树的西边,是还未吐芽的楝树和梧桐,楝树南边是一种法语叫“塞琳嘎”的灌木。雪子姐妹的法语教师塚本夫人是法国人,她说在她的祖国“塞琳嘎”漫山遍野,而来日本后却从未见过。她见这个院子里有这种灌木,感到十分珍奇,而且被勾起了乡愁。所以,雪子她们也开始留意这种树,翻检《法和辞典》,知道日语称之为“萨摩水晶花”,属于水晶花之一种。这种树总是在珍珠梅和紫丁香凋谢以后,同栽种在别屋篱笆附近的重瓣棣棠花差不多同时开花,现在才萌出一点嫩芽。那“萨摩水晶花”的对面便是舒尔茨家的后院,中间隔了铁丝网,沿着铁丝网栽种的梧桐树下,下午的阳光暖洋洋地洒在草坪上,悦子和罗斯玛丽正蹲在那里玩“过家家”。雪子从楼上的栏杆看下去,玩具的小床、西服衣柜、桌椅、洋娃娃,零零散散摆在地上,一览无余,历历可辨。两位少女清脆的语声清晰可闻。她们压根儿没注意到雪子在看她们,一心扑在游戏上。
ローゼマリーが、「これ、パパさんです」と、左の手に男の人形を持ち、「これ、ママさんです」と、右の手に女の人形を持って、両方から顔を押しつけては、口の中で「チュッ」と舌を鳴らしているのが、最初は何をしているのやら分らなかったが、なおよく見ると、二つの人形に接吻させているのらしく、自分で「チュッ」と舌を鳴らすのはその音のつもりらしいのであった。と、ローゼマリーは又、「ベビーさん来ました」と云いながら、ママの人形のスカートの下から赤ん坊の人形を取り出した。そして、何度も一つことをして、「ベビーさん来ました、ベビーさん来ました」と云いつづけるので、「来ました」と云うのが「生れました」と云う意味であることが察しられたが、西洋では、赤ん坊は鸛が咬えて来て木の枝に置いて行くのだと云う風に子供に教えると聞いていたのに、矢張お腹から生れることを知っているのだなと思いながら、雪子はひとり微笑ましさを怺えて、少女達のすることをいつ迄もこっそりと見守っていた。
罗斯玛丽左手拿着一个男娃娃说“这是爸爸”,右手拿着一个女娃娃说“这是妈妈”,把两个洋娃娃的脸贴在一起,口中吧唧一响。最初,雪子看不出来她在做什么,后来看久了,才看出她是让两个洋娃娃接吻,自己用舌头发出响声来模仿接吻声。罗斯玛丽又说“婴儿来了”,边说边从女娃娃的裙子下面掏出一个小洋娃娃,而且不止一次地重复这个游戏,不停地说“婴儿来了”“婴儿来了”。雪子终于察觉到“来了”实际上是“生了”的意思。雪子心想,听说西洋人哄小孩说婴儿是鹳鸟叼来放在树枝上的,而她却懂得了是从肚子里生出来的。雪子忍住笑,一直悄悄地注视着两个女孩儿的游戏。